天外伺朗さんのお話
★天外伺朗さんのお話
鳥の瞑想&納涼の夕べ(2014年7月9日、東京 紫山会館)での、天外さんの お話をご紹介します。当日は、シンギングボールやディジュリドゥー(オーストラリア先住民族の楽器)の響きに包まれて瞑想をおこないました。天外さんが考案した「鳥の瞑想」の解説を伺い、最後は事務局手作りの軽食で和気あいあいな充実したひとときになりました。
「鳥の瞑想」とは、24時間365日、つねに鳥を意識するという瞑想です。 いつも3メートルくらい後ろ「鳥の瞑想」を実践することで、人生のトラブルが解決されるのは、なぜでしょうか。 じつは、さまざまなトラブルを引き起こしているのは、人間の心の無意識層に ひそむ「モンスター」なのです。 ぼくは、著書『問題解決の瞑想法』で、「トラウマ」「シャドー」「バースト ラウマ」「死の恐怖」「性欲」の5つを代表とする、「モンスター図」を紹介し ました。これは、フロイト、ユング、ランクなどの 古典的な深層心理学をベー スに、人間の心の無意識層を解説したもので、仏教の発想「四苦八苦はどこから 生じるか」のような、宗教的な視点も加えています。 人間は、心の無意識層にたくさんのモンスターを抱えています。モンスターは 前述の5つにかぎらず、実際は無数にいて、人生のさまざまなトラブルを生じさ せています。そして「鳥の瞑想」を実践すると、そのモンスターを客観 的に見つめられるので、その支配を逃れるチャンスを得られるのです。
モンスターの一つ、「死の恐怖」について考えてみましょう。人間が生きもの として死を恐れるのは、自然なことです。しかし、死の恐怖から目を背け、抑圧 すると、それは無意識レベルでモンスターになります。文明人の95%が、そん なモンスターに人生を支配されています。 ぼくは医療改革の一環として、ホロトロピックネットワーク関係の医療者に、 死の恐怖にまつわる、患者の意識の変容をサポートするよう、お願いしています。 このサポートは秘かにおこなわれる必要があり、宣伝できず保険点数もつきませ ん。けれど、医療の本質とは「患者の意識の変容をサポートすること」に他なり ません。 一般的には、病気は「困ったこと」とされ、病院とは「早くもとの生活に戻れ るようにする」施設と考えられています。しかし、「もとの生活」で病気になっ たのだから、一時的に体調を回復して「もとの生活」に戻っても、また病気にな るだけでしょう。 ぼくは、まったく異なる「ホロトロピックセンター」という概念を提唱してい ます。せっかく病気になったのだから、いちだん高い精神的な境地を達成する― ―それが「意識の変容」であり、それをサポートする仕組みを「ホロトロピック センター」と捉えています。 ホロトロピックセンターでは、病気を「困ったこと」ではなく、「意識の変容 のチャンス」と見なします。人は「意識の変容」をとげると、姿かたちは変わら なくても、「世の中の見え方」が変わります。それは、サナギが蝶になるような 変化です。つまり、自分をサナギと思いこんでいる「今の自分」にとっては、一 種の死でもあります。 「死の恐怖」が抑圧され、モンスター化していると、「意識の変容」にブレー キがかかります。とはいえ、文明人のほとんどには、「意識の変容」をとげたい というモチベーションがあります。そこで、アクセルを踏みながらブレーキを踏 むという生き方になりがちなのです。 病気になると、人は病気のせいで「死の恐怖」がわき起こったと感じます。し かし実際は、無意識レベルでモンスター化していた恐怖が、等身大になって目の 前に現れただけであり、モンスターの支配を逃れるチャンスでもあります。 そんなチャンスを生かすことができるのは、何十人に一人です。それでも、重 篤な病気を体験して「意識の変容」を遂げた後、人生ががらりと変わる人や、名 経営者として生まれ変わる人もいます。
『問題解決の瞑想法』天外伺朗著
モンスターの支配から逃れることができると、その奥に潜んでいた「もう一人 の自分」が、深い眠りから目覚めます。 「もう一人の自分」というのは、ぼくの命名で、仏教では「仏性」、ヒンズー 教では「真我、アートマン」と呼ばれています。 ユングは精神病患者を治療するうちに、無意識層の最も奥底に、「真我」に相 当するものがあることを発見し、それを「神々の萌芽」と呼びました。そのため、 無意識層に「抑圧された性欲」だけがあると考えたフロイトと、袂を分かつこと になりました。 人間が肉体をもつがゆえに生じるもの、たとえば食欲、性欲などすべては、抑 圧されモンスター化するまでは、もともと健全なものです。そして、ぼくの 定義する「もう一人の自分」とは、それら病理ではなく健全な欲求を、すべてひっ くるめた存在です。一般にいう、守護霊、守護天使、ハイヤーセルフ、ご先祖 さま、すべてこの 「もう一人の自分」が象徴しています。「鳥の瞑想」に おける】「鳥」は、この「もう一人の自分」を象徴し、呼び覚まします。 ところで、「もう一人の自分」は、「古い脳」の中に存在しています。 そして、古い脳は、「あの世」の知恵をつかさどっています。 なお、ぼくのいう「あの世」とは、死後の世界のことではありません。ぼくの 「あの世」の定義は、一番は「非局所的」、二番は「時間・空間が定義できない」
三番は「観測不可能」、四番は「因果律が成立しない」などです。 量子力学の世界には、「あの世」のあり方が表れています。量子力学では、素 粒子は波動であり粒子でもある、と考えられています。素粒子は、観測していな いときは波動としてふるまい、観測を始めたとたんに粒子としての性質をもちま す。 ぼくが思うに、それが「あの世」の姿なのです。「あの世」とは非局所的なも ので、ぼくたちは生きている間も、あの世にしっかり存在しています。今この瞬 間も、自分があの世に存在していると、ありありと実感して把握することが、 「悟り」なのです。
ほとんどの人は、真我としての「もう一人の自分」ではなく、批判的で自己否 定につながる、別の「もう一人の自分」を育ててしまっています。 この「否定的な、もう一人の自分」は、「真我としての、もう一人の自分」 とは、まったく異なるものです。すでに述べたように、「真我としての、もう一 人の自分」は、「古い脳」の中に存在していますが、「否定的な、もう一人の自 分」は、大脳新皮質の中に育っています。 大脳新皮質は、「この世」の知恵をつかさどる脳として、世界を局所的 なものとして感じる性質があります。「自分」を身体に限定された存在と感じ ていて、身体の外に出るイメージをもつことが】できません。 「鳥の瞑想」をするうちに、 鳥が肩にとまるイメージが浮かぶ人も多くいま すが、これは瞑想の失敗です。イメージの中で、鳥が 身体に近づ くと、「否定的なもう一人の自分」が呼び出されてしまいます。 「真我としての、もう一人の自分」は、非局所的ですから、身体から3mくら い離れたところにイメージすることによって、呼び出すことができます。
鳥は、怒ったり悲しんだり、すったもんだしている表面的な自分を、少し離れ たところから、見つめています。冷静に、中立的に、客観的に、「いい/悪い」 の判断することなく、見守っているのです。 このとき大切なのは、「いい/悪い」という判断をしないことです。いいも悪 いもない、ただ、見つめる。だからこそ、仏さまや守護霊といった立派な存在で ない、ただの「鳥」のイメージが望ましいのです。 臨済宗の僧侶で、数え103歳で逝去された松原泰道さんは、俵万智さんの 短歌「泣いている我に驚く我もいて 恋は静かに終わろうとする」を引用して、 「もう一人の自分」の存在を指摘されました。 「泣いている自分」に驚いている「もう一人の自分」が、俵万智さんの中に存 在しているのです。だから、俵さんは大変な試練にあっても、人生を破綻させる ことなく生きてこられました。 泰道さんは、この「もう一人の自分」を育てる事が坐禅の効用だ、とお話に なりましたが、「鳥の瞑想」にも同じ効用があるのです。
(文責 矢鋪紀子)