一緒に暮らす家族が増えてきました。高野山で縁のあった坊さん達が私と一緒にお寺を造りしたいと言ってあっちこっちからやって来るようになったり、信者さんの子供がお寺から学校に行くと言ってきたり、親がいない子を引き取ったり…。また野菜ばっかり食べているので、蛋白質が足りなくなるといかんというので山羊を飼ったら、山羊の乳は臭いと皆嫌がるので、今、牛が四頭いる。お寺が動物好きだと思われて猫や犬が捨てられて、それぞれ十匹ぐらいずついる。本当は飼う予定は無かったが猪もいる。親が害獣駆除で殺されて、何匹かいた猪の子供が夜の間に狸かなにかにやられて、それが一匹残って何とかせにゃいかんということで連れてきた。毎晩餌を貰いに来る狸とか、猪の子供とか脱腸のうえに猫エイズで捨てられた猫とか、色んなのがいるんですが、皆家族と思っています。お寺を造るのはそれぞれ仏縁があって役割があって来ているので「動物も人間と同じようにお寺を造る仲間だと思うように」と皆に頼んでいます。

 去年、八年ぶりに帰ってきたモテという犬がいます。ヘブライ語で可愛い女の子という意味で、甘えん坊の犬です。今から十年ぐらい前、肝臓の病気になった社長さんが、急に半年以上入院ということになって「社長がそんなに長い間いないと会社が潰れるから何とかしてくれ」と言われて拝んだら一遍に元気になった。その社長さんが治ったお礼にと、百万円の犬をくれたんです。「この犬がいると分かれば東京からでも盗りにきますよ」って言われた。まさかと思っていたが、二歳ぐらいになって本当にちゃんと盗られた。ピレーネ犬です。去年の五月に、「モテに似た犬が山の下からまっすぐお寺に向かって登ってきますよ」って電話が入って「モテって呼んでみて」って言ったら「寄ってくる」って。もうぼろぼろの犬になって、舌も紫色で垂れたまま口の中に入らない。まっすぐ歩けない。腰に直径二十センチぐらいの癌ができていて、そして牙がきれいにカットされている。繁殖用に盗んだ人がたくさん繁殖させて、癌になったので捨てたんだろう。本当にむごい事をするんですけど、捨ててくれたから犬が帰ってこれた。その三日前に串木野市内をトボトボ歩いているのを見たという人がいたので、十五キロを三日がかりでここまで歩いてきた。その前にどこで捨てられたのか分かりませんから、どれだけ歩いたのか、すぐに獣医さんに見せたら今日か明日の命だと言われ、オーストラリアのアボリジニがつけていた軟膏を塗って酵素を飲ませて皆で大事にしてやって拝んだ。そしたら腫瘍がどんどんなくなって、今は三分の一ぐらいになって、まだ生きています。

 皆、お寺の仏様のご縁で人間も集まってくるし、動物も寄って一緒にお寺造りをしとるんじゃろうと思っています。そんなんしてたら獣医さんの信者さんがどんどん増えてきて、猫の避妊手術だとか、ノミダニの薬だとか、色んなものが獣医さんからお供えされている。

 お寺を造らせて頂くということは仏様がされるので、私共の思慮思考を超えたものです。だからそれを信じて、ただ邪魔をしないようにという心がけで、たまたまやらせて頂いたら、こんなになったという感じです。

 私が二十三年前に描いたお寺の絵は市役所と村の公民館館長さんに渡したんで、今も残っていますが、その当時から「これだけのお寺が出来たら何十億かかるだろう」って言われました。「お金は?」というから「無い、寝袋だけだ」って言ったら「そんな馬鹿なことが出来るか」と言われていました。

 今、護摩堂と庫裏と熊野権現堂とお大師堂が建ちました。土木屋さん達の見積もりでは二十億ぐらいかかると言われたんです。でも私共がお金でやったんじゃない。水道屋さんは水道工事をお供えしてくれて、電気をお供えしてくださった方は毎月お給料が出ると電気を買って各部屋に付けてくださって、座布団を縫うのが得意なお婆さんは座布団を、畳屋さんは畳をお供えしてくださった。

 私がいる庫裏は長野の諏訪大社の大工さんの棟梁が「和尚さんはお金がないから俺が言ってやるから」と、建て替えるお寺にお願いに行ってくれて、戴いた三百年経っている建物です。宮大工の棟梁の推薦があったんですけど、ちょうど長野オリンピックの時で、大きなお蕎麦屋さんがオリンピック用にその三百年の古いお堂を買いにきていて、お寺さん側は建て替えるのに蕎麦屋さんに売った方がお金になるので総代会で揉めていた。その時、別の知らない長野のお寺の住職さんが「鹿児島にくれてやってくれ」と頼みに行ってくれて、そのお寺は私にただでくれることに決まった。私は「そのお坊さんはどんな人ですか」とうちのお寺の執事さんに聞いて貰った。三十年ぐらい前、その長野のご住職さんが高野山の坊さん学校に入る時に家が貧しくて入寮するとき、綺麗な布団を持っていけなくてちょっと悩んでいた時、私が、出家するというんでおふくろがしつらえてくれた布団があって、私は寝袋で寝ていたのでその布団をあげたことがあった。私はそれを忘れておったんですが、坊さん学校に入って坊さんになったその人は私の布団をずっと持っていて、使ってぼろぼろになったら、それを座布団にして今でも使っていてくれて私を忘れずにおった。その坊さんが信州のお寺の住職さんになっとって、それで頼んでくれた。鹿児島からはうちの執事さんや信者さん達が行って、百十坪の大きな建物を皆で一所懸命にきれいに解体した。信者のダスキンの人達は綺麗に洗ってくれた。しばらくしたら、信州のお寺からお礼がきた。どういう事かなと思ったら、そのお寺の檀家さん達が、私たちが綺麗に解体して持っていくのを見て「うちのお堂をこんな風に大事に綺麗に使ってくれるちゅうのは非常に有難い。自分達も自分達のお寺に協力せんといけない」ということで、お寺が予定した額より、はるかに沢山のお金が集まった。「あんたが貰ってくれたからだ」ということになって、今でもそのお寺とは四季の挨拶やお礼を言ってるわけです。私は布団をあげたけど、大きな建物になって帰ってきているわけだから、情けというのは本当に人の為だけじゃない。本当に人に親切にするというのは自分のことにかえってくる。そうすると、自分というのは、果たして、この身体のうちだけなのか、どこまで自分なのか。本当はものすごく大きな自分なのかもしれない。自分たちが勝手に、この身体のうちだけを自分って言ってるのかもしれない。人に親切にした積りが本当は自分自身だった、人を大事にした積りが本当は自分を大事にしているちゅうことになれば、これは私達の認識を変えないといけないかもしれない。そういうようにお寺を造らせて頂くと色んな事に気づいていくこともあります。 私のお寺に、親が新興宗教の信者なのに子供が来ているということもあります。親のご縁じゃなくて子供のご縁なのです。最初のころは、この子はどうして此処にくるのかと拝んでみると、お寺に来られる方々は私とのご縁だったり、お山とのご縁だったり、お山で死んだ人だったり、色んなご縁がわかったんです。それで最初のころは「お前はこんなんで来たんじゃなあ」とか「あいつはあんなんで来たんじゃなあ」という風に来られる人を拝んでばっかりいた。その時はその人たちは驚いて納得するけど、結局なんの役にも立たん。人をそういう先入観で見て人を裁くような感じになっていって「自分がこうなるのは前世でこうだったから」と言い訳で使いだす。そういうのはわかる時期にはわかるんです。一生懸命やればわかる時期がくるんです。本当に「そんなのつまらん」って思うようになりました。「つまらん」って思うようになりだしたら、今度はわからんようになる。

 二十年前、関西の大学の学生が六甲山に集まったことがあった。自己紹介をするとき「私はトンボを止めます」と言ってやってみたら、トンボが私の指に来て止まった。皆ワーッときて「サインサイン」と言われた。本当にあの頃はバカだった。行をしていると、その過程で色んなことが起こって気持ちが通じたりするのがあるんです。その頃トンボは百発百中でした。蝶は五匹に一匹ぐらい。蛾なんかは拝みだすと、この額にポンってくる。高野山で知り合いになったアメリカ人がジョンフホアンという人の本を送ってきて、そこに同じことが書いてあるって言った。蛾が瞑想する人に感応するとか書いてあったそうです。多分こうして集まっておられる皆さんも瞑想や拝むということに興味がおありでしょうけど、本当に変なところで止まらんようにしないと、宗教やら大事なものを見失ってしまうかもしれない。新興宗教やおかしな権威をひけらかしているような人達というのは何の霊かわからんようなものを使ってでもごたくを並べるので本当の宗教や信仰とは関係ない。その辺も皆さんには是非わかっていただきたいと思います。

 私は昭和五十八年に冠嶽に行って、四月に空き家になっていたところを借り、七月二日に開庵しました。昭和四十年代にすごい台風水害があって開拓団は皆山を下りてきてしまって十年以上空き家になっていたところです。掃除に通い始めたころ、高い崖に洞穴があって、そこに江戸時代のお不動さんが祀られていて、尼さんがお祀りをするから一緒に見に行きましょうと串木野神社の禰宜さんが私を誘ってくれたんです。このかたに「私はこれからお寺を復興するので総代になってください」って言ったら「神社に務めるものがお寺の総代をするのか」っていうから「何が悪いんですかあ、どうぞ復興の目撃者になってください」と言いました。

 鎖のはしごを握って十何メートル垂直に上がっていったら、お婆さんがお経を唱えておった。私も後ろでお経を唱えていたら、お婆さんがこっちを見て泣き出して「待っとったよう、なんで来なかった、昭和三十三年には幾つだったか」と聞くから私は「九つでした」と言った。「私はあんたが九つの時からあんたを待っとった」と言われた。ますますわからんで、「どういうことですか」と聞いた。

 そのかたは徳島のかたで離婚騒動で薬を飲んで自殺未遂を起こし、目が半分見えなくなって旦那からも家族からも捨てられて高野山にあがって尼さんになった人だった。そして奄美大島の人を頼って汽車に乗って鹿児島の串木野までやってきたら、冠嶽に鎖のお不動さんがおられると聞いて、そこで降りて洞穴に入って拝んだら、一週間目の夜に夢にお不動さんと明治天皇が出てこられたそうです。そして私の顔を見せて、この坊さんが高野山から来てお寺を復興するから、それまで他の坊さんを入れるなと言われたそうです。この話を聞いてる人はたくさんおって、私が来るまでにたくさんの坊さんが「あんたじゃない。あんたじゃない」って追い出されている。そのかたは岩本義清という尼さんですが、石像を八十八作って準備をしながら私を二十五年待った。昭和五十八年になって「今年来なかったら自分はもうだめだ、もうこれ以上待ちきれない」と。間借りしている家から、歴代のお坊さん達のお墓掃除をしてお不動さんをお参りして帰るのにバスに乗ったつもりでバス賃を毎日郵便局に入れていった。そして百万円貯めて土地を買って小さな庵を作った。ところが百万円で土地を売った人が名義を変えてくれず、きっとお婆さんだから、そのうち死ぬだろうと、そのままになっていた。もう待ちきれんというところだったのです。だから私の顔を見たらワーワー泣いて「早くお寺を造ってくれ」と言われて私は「山の上の方に空き家を借りたのでそこでお寺の復興をやります」って言った。お大師堂が出来た時はお大師堂の中で一人狂ったように踊っていました。平成八年頃お不動堂が出来た時も車いすでやってきて、本当に喜んで、そして亡くなられた。

 お婆さんのお寺も私が引き継ぐように言われたけど名義が変わっておらんかった。地主が死んで子供やら所有者やら沢山出てきて、しかも県外にいるからどうにもならん。「この名義は何とかならんですか」というと、村の人達も「自分達も同じ地主から土地を買ったけど皆名義を変えて貰っていない」と。尼さんの意思を引き継いでいくのにお寺の名義だけは何とかしないといけないと思い念じておりましたら、新幹線がそのお寺の横下を通るということで振動するといかんからお寺の許可を取りに来た。「死んだ地主が名義を変えていなかったので、新幹線の方で名義を整えてくれたら私は異存ありません。保証が出るんだったら名義を変えてくれる人達にあげてください。と言ったら名義を変えてくれた。こんな風に有難いことが一つ一つ起こってきて、どうしてもお寺は自分が造ったとは、とても思えんかった。

 私達一人一人は仏様の命を生きて仏様に応援されて仏様に導かれて生きているけれど、それを自分勝手に邪魔をしているので、なかなか気持ちよく生きれん。黄檗宗の坊さんが書かれたものを読んでいたら、無求無着と書いてあった。「求めることが無ければ、心が生じる事がない。執着することが無ければ心が滅することがない。不生不滅と言ったらこれ即ち仏。」無求無着になれば良いのだけど、なかなかなれない。私もなれない。それを信者さん達にお話ししてもなれない。それで具体的に「ではどうすれば良いのか」と色々考えてみると、やはりご恩を感じるということです。お大師様(弘法大師)は四恩と言っておられ、お経に四つのが書いてあります。お父さんお母さんへのご恩から始まって先生、友達へのご恩、国へのご恩、仏様三宝へのご恩、周りの色々な方々、神様仏様のお陰で自分が生きているというのを本当に毎日感じて、ご恩を忘れない。ご恩を発見する。ご恩に報いるようにする。というようなことを、自分が自分を教育して自分が周りを引っ張っていくという形でやれば、ご恩を感じて「自分の人生で、これはあの人のお陰だ、自分でやったと思っていたけど全部違った、こんな運が良いのは仏様のお陰だ」とか色々感じてくる。自分たちが無事に子供を育てられるのは、これはやっぱり国のお陰である。北朝鮮ではどれだけ惨いか、アフリカの人がどれだけ難儀をしているのか、私たちは日本で悠々と暮らして豊かすぎて逆に貧しくなっているのを分からんで暮らしている。やはり日常生活の中にもう一回、ご恩をとり戻すような生き方をすると、心が素直に綺麗に保ちやすくなり仏様を素直に信じるようなことが出来やすくなる。そうすると、仏様の邪魔をあまりせんような日常になるかもしれない。だから学校の先生達そして大人は、まず子供にご恩を教えてやってください。ご恩を教えるのにやはり仏様神様を信じないといけないのだけど、食べ物を食べて、その食べ物の成り立ちから、その食べ物のことを考えて、朝、昼、晩、ご飯を食べるときに、ちょっとずつでも「自分達は有難いなあ」と考え、またこの食べられる物達の命を考え、作ってくださる方のご恩を考えていく、というような形で教えたらどうだろうか、とこんな風に考えている今日この頃です。

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