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野口 法蔵さんの出版記念講演会 (前編) 

 

 臨済宗の僧侶として著作執筆、坐禅断食のご指導などに、ご活躍しておられます。

ホロトロピックネットワークでも、坐禅断食会の導師としてお世話になってきま

した。新刊『からだに効く坐禅』(野口法蔵著、七つ森書館)は、坐禅の方法や

体質改善の効用など、さまざまな側面から坐禅を解説していますので、ぜひご一

読をお勧めします。出版記念講演会でのお話の一部を、ここにご紹介します。

(2014年7月28日、東京ウィメンズプラザ視聴覚教室)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は24年前から坐禅断食を指導してきて、この間、ずいぶん広まったという感

慨があります。来年は、松本の断食会はお休みします。

 理由は二つあり、坐禅断食が流行りすぎていることと、病人が増えすぎている

ことです。坐禅断食会には、いろいろな人が集まる楽しみがありますが、もう少

し自分ひとりで修行の時間を過ごしてほしいという思いもあります。

 私は24年で440回、3日間の断食をしてきました。5年連続で、年間40回120日

絶食した時期もあります。絶食の間は、集中して坐禅しています。 その習慣に

よって体ができているのですが、それを止めたらどうなるのか。「止める」こと

を修行してみたい、と考えています。

 断食会には、それぞれ特色がありますが、私の断食会では、坐禅が深くなった

ときの快感を知ってもらうのを目的としていました。坐禅を、精神的な面だけで

はなくて、肉体を変えるものとして取り組むということです。

 そう提唱したのは、いままでただ一人、江戸時代の臨済宗の僧侶、白隠だけ

です。当時、坐禅と信仰はひとつのもので、ひとは信仰から坐禅し、坐禅して信仰

を深め

ていました。白隠は、坐禅を工夫して瞑想法を編みだし、自分の病気も人の病気も

治しました。白隠の著書には病気の症例集があり、30数例があげられています。

 私は白隠のように坐禅を用いたく、その方法の一つが、断食だったのです。断食

の方法は、インドで学びました。断食の明け方は、私のオリジナルではなく、

ブッダやガンジーも実践した古来のやり方です。ただ、昔は梅干しではなく、

レモンを使っていました。

 断食会は、新潟大学医学部の申し出がきっかけでスタートし、断食中の脳波を

測定するなど、最初から医学的な視点がありました。やがて、生菜食の少食療法

を提唱する甲田光雄先生と知りあい、断食や少食によって宿便をだすと、体質が

変わることに気づきました。

 ところで、体質改善という意味では、食事療法をしても、治る人と治らない人

がいます。その違いは、「食事を変えることによって、思いや祈りを変えること

ができたかどうか」にかかっています。体質改善するには、「体から入って、心

を変えて、そして体が治る」という手順を、踏まなくてはならないのです。

 断食会を始めたときは、「接心」のイメージがあったので、80時間の断食断水

で、坐禅時間も、いまの断食会の倍の600分という、厳しいものでした。

 「接心」とは、お釈迦さまが断食断水断眠で8日間坐り、8日目の朝に悟ったと

いう修行で、さまざまな宗派が、それを修行のモデルとしました。禅宗は、なるべ

く眠らない坐禅のスタイルを、天台宗や真言宗は、断食断水を、修行に取り入れま

した。千日回峰行には「寝ない・食べない・飲まない・横にならない」の四無行が

あります。

 ただ、私の断食会では、頑健な人だけでなく、病気の人の参加も増えてきました。

「水をとらないのは危険だ」という甲田先生の指摘もあり、断水はやめました。

 さらに、体力のある人もない人も取りくめることとして、呼吸に意識を向けても

らっていると、宿便の出方も、合宿後の体調も、よりよいことがわかりました。

そこで、断食の間は、坐禅に集中して取り組むことにしたのです。

 参加者が3、40人と増えていくと、呼吸の浅い人も、他の人につられて、呼吸が

深くなります。合宿後、全員に宿便が出るのは、みんなで座禅をするうち、いつの

まにか、吐く息、吸う息が一緒になり、深まっていくからです。

 なお、一人で坐禅するときは、自分の呼吸を吸うのがお勧めです。壁を向いて座禅

すると、吐いた息が壁に当たって戻り、自分の息を吸うことになります。呼吸の細い

人は、マスクをするといいでしょう。しだいに呼吸が深くなり、時間がとんでいると

感じるようになるまで、工夫を重ねてください。

 

 仏教の経典には、「呼吸によって病気を治す」方法を解説したものがあります。

そのお経「治病禅秘要法」には、肺、消化器、循環器など、臓器ごとにどのような

呼吸と体の動きが望ましいか、たくさんの方法が述べられています。

 昔は、人体を五大要素(地水火風空)で構成されると考えたので、その解説を

現代の病気に当てはめるのは難しい面もあります。ただ、このようなお経が現存する

というのは、実績があるからでしょう。

 仏教の経典は2万経巻あり、すべて読みましたが、どの経典にも真実があって、

一つでも実践すれば大きな変化がもたらされます。二万の経典を結跏趺坐で集中

して読むと、5000時間かかります。すべて読みきった人は、日本では宗派の開祖

となった10人くらいです。

 感動する経典は、それぞれの感性によって違います。私の場合は、まず阿含経に

感銘を受け、その後、バーリー語大蔵経を読んで、同じ感動がありました。短いお

経でも一つ獲得すると、どの言語で書かれたお経も、感覚的にわかるようになります。

意味がわからなくても伝わるという、感性が養われていくのです。

 私はいろいろな修行をしてきましたが、20代に無言の行をした3年間が、いちばん

の核となった時期です。核になる時間というのは、20代でなくても作れますが、

体でわかろうとするなら、20代で経験する必要があります。そして、20代に修行

したものを、年齢とともにいかに持続していくかが、知恵になります。

 

 今回は、「禅と悟り」というテーマをいただいていますが、「悟り」について

述べるのは、おこがましいものです。禅では、「悟り」という言葉を使ったとたんに、

「嘘をついた」ことになります。

 ブッダが教えを説いていたころから、悟りには四段階ある、と言われていました。

禅では、大大悟、大悟、中悟、小悟、と呼ぶことがあります。小悟を何度も繰り返し

て、中悟になり、中悟を繰り返して、大悟にいたります。

 大中小の違いは、悟った後の時間がどれくらい持続するかの差です。小悟は、

得たとたんにすぐ消えます。小悟が消えた後は、悟る前よりもっと落ちこみ、真剣に

取り組むひとは、病におちいることがあるほどです。これは、禅病と呼ばれます。

 中悟は、小悟に比べて、もう少し長く続きます。大悟は、さらに長く続きますが、

生涯維持されるわけではありません。大大悟という、生涯落ちない悟りもありますが、

そこにたどりつくのは、ふつうは無理といわれています。いちどに究極を求めるとい

うより、小さな悟りを積み重ねることで人は満足するし、周りの人にもいい影響を

与えることになります。

 

 私は一時期、末期がんの患者さんたちと坐禅断食していたことがあります。

坐禅のときに得られた感覚を、さいごの瞬間に蘇らせることができると、マハーサ

マーディにつながるでしょう。

 私は何人ものご臨終に立ち会いましたが、念仏者だから阿弥陀さま、観音信仰

だから観音さまが見えるのではないようです。

 ある末期がんのかたは、さいごに自宅に戻ったのですが、痛みが出ると、坐禅

断食しているところを想像し、「延命十句観音経」を唱えました。すると、部屋が

真っ白になり、天上の角が白くなって、光が出てきて、痛みが和らいだのです。

そして、その光が自分に近づいたとき、それが観音さまであることがわかったそ

うです。 そのかたは、それほど信仰が深かったわけでもなく、坐禅断食も3回

参加しただけでした。ただ、そのわずかな経験が、意識よりも体を通して、光の

体験を呼びこんだのでしょう。お経を唱えることで、坐禅断食をしたときのこと

が蘇り、その感覚が痛みを取りのぞいて、より心地よい状態で、次の世界にいく

のに役立ったように思います。 〈つづく〉(文責 矢鋪紀子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              (蓮の糸で織った袈裟)

 

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