「ホロトロピックネットワーク」は「マハーサマーディ研究会」として発足し、今年で
創立20周年を迎えました。記念講演会と祝賀会には全国から多くのご参加をいただき、
深くお礼申し上げます。講演会でのお話の一部をご紹介します。(2016年2月7日)
基調講演:天外伺朗さん
ホロトロピックネットワークの前身「マハーサマーディ研究会」の「マハーサマーディ」
はサンスクリット語で「自分の死期を知り、瞑想に入って至福のうちに肉体を離れること」を意味します。現代は病院で医療機器に囲まれて亡くなる人が多いですが、理想的な死とはどういうものか考えよう、という趣旨もありました。
死について考えるなんて縁起でもないともいわれますが、死と向き合うことによって、いま生きている一瞬一瞬はいっそう輝きを増します。たとえば、重病などによって死と直面すると意識の変容が起きることがあり、それは「実存的変容」と呼ばれます。
「病気が治ってよかった」というより「病気のおかげでこんな気づきが起きて素晴らしい人生になった」という感じです。重病から快復した後に名経営者になる人が多いのも「実存的変容」のおかげです。
ぼくは医療、教育、経営の領域で、人々に実存的変容が起きるような工夫を試みています。このような思想に共鳴して、患者さんの実存的変容をサポートする医療者も増えています。それは、患者さんにも語らず保険点数にも反映されない、ひそやかな取り組みであり、現在、全国15のクリニックがホロトロピックセンターとしてそのような医療革命を推進しています。医療関係については、後に先生方にお話しいただきます。
これからの取り組みとしては、2016年からは「日本列島祈りの旅」を行う予定です。歴史を振り返ると、この日本列島では、アイヌや出雲族のような先住民族がたくさん虐殺されてきました。その怨念を封印したうえで、現代の日本人は生きているのです。
ぼくと先住民との出合いは、1997年の船井オープンワールドでした。対談者のレイモンド・ムーディ(医師、心理学者、臨死体験の発見者)と打ち合わせ中、インディアンの長老トム・ダストゥーがふらりと現れたのです。
このとき初めて、ぼくはインディアンの悲惨な境遇を知りました。トム・ダストゥーはかつてインディアンの聖地(墓地)を破壊するダム建設反対運動をおこない、最終的にはカナダ政府を相手に武力闘争も辞さない局面になりました。多くの先住民部族が集まり、トムはそのウォー・チーフに選ばれました。ウォー・チーフになるには、ナイフ一本で山中に入り100日間生き延びなくてはならず、トムはそれをやりとげた強者でした。
結局、武力闘争を回避させて彼を救ったのは、三人の日本女性でした。ひとりは日本山妙法寺の庵主様と呼ばれる、じゅんさん。もう一人が、アイヌのメディスンウーマン、アシリ・レラさん。そして後にトムと結婚した、なおこさんです。
さまざまな経緯があってトムは来日し、日本山妙法寺とアイヌの人たちと一緒にアイヌの古戦場で祈りを捧げました。このときトムは、木の鎧を着た兵士が何百人と地面から湧き上がり、天に上っていくのを見ました。古戦場での祈りはトムに深い印象を与え、武力闘争をやめる決心につながりました。
結局、トムは武装蜂起をやめるよう人々を説得し、アメリカ大陸の東から西まで、4か月かけて100人でピースウォークをおこないました。インディアンの文化には供養の儀式はあまりないそうですが、白人とインディアンの古戦場では入念に祈りをささげた、とのことです。
僕がトムと会った船井オープンワールドには、トムの師匠ウィリアム・コマンダー も講演しました。コマンダーは「ベルトキーパー」という名誉ある地位にありました。 インディアンは文字をもたない代わりに、伝承を大きなベルトにビーズで描きこんで、代々それを読みとく人が指名されるのですが、コマンダーはその大役に任命されていたのです。
ベルトは持ち出しを禁止されていますが、世界がおかしくなっていると危惧するコマンダーは、ベルトを日本に運び、会場で高く掲げて、そこに描かれた「セブンファイアーズ」という神話について語りました。ファイアー(火)というのは、議会で輪になった人々の中心に焚く篝火のことで、「時代」という意味があります。
その講演の途中で、アシリ・レラさんが会場に入ってきました。人づてにトム・ダストウが来ていると聞いて急遽会いに来たのです。コマンダーの講演を聞いて、レラさんはアイヌにも「七つの星」という、ほぼ同じ神話があると語りました。環太平洋に先住する人々には蒙古斑があり、ベーリング海峡が陸続きだった1万年前に、東に移動しています。神話の共通性も不思議ではないでしょう。
講演後、僕はレラさんをコマンダーの楽屋に案内しました。トムもそこにいました。そこでコマンダーとレラさんが繰り広げた二時間のセッションを僕は生涯忘れることができないでしょう。 コマンダーは若いころ末期癌になった体験も話してくれました。そのとき彼は長老に「お前の心の中に、白人に対する憎しみが見える。その憎しみが癌をつくっている。確かに白人はひどいことをした。だが、我々の伝統的な祈りは、創造主と母なる大地が創りだしたあらゆるもの、人間、動物、植物、鉱物のすべてに生命があり、皆きょうだいだと教えている。お前はなぜ、白人だけ除外するのか」と諭されたそうです。
これを聞いたコマンダーは深く感じ入り、毎日、伝統的な祈りを行うようになりまし
た。末期癌がたちまち治ったそうです。
それからいろいろなことがあり、ぼくはインディアンの長老から聖なるパイプを授与され、「パイプホルダー」としてセレモニーを行うようになりました。
2012年には、六人で「ビジョンクエスト」を行いました。ビジョンクエストというのは、15歳になった男の子が三日間ひとりで寝袋だけをもって山中で断食するという、インディアンの通過儀礼です。 結界を張ってこもり、もし結界を破って入ってくるガラガラヘビがいたら、それは創造主の使いであるので、かまれて死ねと教わります(笑)。極限的な状況において形をもたないものとの対話を進めることで、少年はおとなになるのです。
僕たちのビジョンクエストはおとな6人で山に入り、下では坐禅断食を行ってもらいました。これはビジョンクエストのサポートのためです。
ビジョンクエストの場所を下見に行くと、神主さんの作ったストーンサークルがあり、強いエネルギーを放っていました。神主さんが石を選び浄めてくれたので、ぼくたちはそれを使って結界を張りました。すると、結界の中からあらゆる動物がいなくなったのです。あたりにたくさんいた蚊が一匹もいなくなったことには、ほんとうに驚きました。蛇が結界に沿って這っていったり、イノシシがすぐそばを走り抜けたりしましたが結界の中は安全でした。
ビジョンクエストが終わってから、神主さんは「ビジョンクエストをしたので、アイヌの怨念がやわらかくなりましたね」と言いました。そこは船戸さんが生まれ育った土地で「洞戸」といいます。神主さんによれば、「戸」が付く土地は、神戸や水戸もそうですが、アイヌの怨念を封じたところだそうです。
アイヌの虐殺がひどかった東北は人々に恐れられ、怨念を封じこめるために日本家屋は北東の方角を「鬼門」と呼び、結界を張っています。徳川家康が江戸の北東に東照宮を建立したのも、怨念が江戸に来るのを封じるためです。
しかし、アイヌの怨念はいま日本中でほどけ始めていて、阪神淡路大震災や東日本大震災もその現れだと神主さんは言いました。
ぼくたちはその後も出雲や剣山への旅を続けましたが、あとから全部関連していることに気づきました。たとえば、出雲族は2500年前、アーリア人に追われて現インドから日本にたどりついたドラヴィダ族と考えられます。古代史には、意外な事実がたくさん眠っています。
ぼくたちの「日本列島祈りの旅」は、すでに2012年から始まっていたのでしょう。そのシナリオを書いているのはぼくではなく、上の方だと感じています。これから20
年、「日本列島祈りの旅」を続けていきたいと思います。
矢山利彦さん(Y.H.C.(ヤマトホロトロピックセンター)矢山クリニック/佐賀)
30年以上、空海の著書を読んできて、現在超訳空海を「ザ・フナイ」に連載中です。お釈迦さまもイエス・キリストも本を書いていませんが、空海には著作があり、難解ですが興味深いです。空海は、この世はすべて大日如来の表れだ、という前提で語ります。連載の中で「では、病気も不幸も戦争も大日如来が創ったのか」という質問を弟子にさせました。それを、空海は宗教の本質にかかわる問いであると評価しています。
「訓練したり学んだりしたら、意識は成長していく」ということは、日本人にとっては当たり前のように感じられます。しかし、世界的には必ずしもそうではありません。
たとえばキリスト教では、唯一絶対神がすべてを創造しているとされ、「自分は修行したから救ってほしい」という発想は、神さまに注文をつけていることになります。救済は神さまが決めることであり、人間が立ち入ることではない。また、キリストに帰依して救済される人は、そのようになることが始めから決まっていたのだ、という解釈になります。
フランスで空手を指導している友人は、ヨーロッパ人と日本人には発想の違いがある、
と言っています。「気というエネルギーを自分の中で回して強くなる」という教えは理解されても、「天地のエネルギーに感謝する」「天と地のエネルギーをとりこむ」というイメージは、なかなか理解されにくいようです。
私事ですが、母が90歳を超えて、老いと死について思うところもあります。エリザベス・キューブラー・ロスは、死を受け入れるには「否定・怒り・取引・抑うつ・受容」の五つのプロセスがある、と述べています。死をどのように受けとめるかについても、文化によって違いがあるでしょう。日本人の根底には、「神に救済される」というより、
「自分自身が意識の成長に向かっていく」という発想があると感じます。
西谷 雅史さん(響きの杜クリニック/北海道)
12年前、私は総合病院の勤務医でしたが、過労から脳出血を起こし右半身に麻痺が生じました。医師としての残りの人生を真剣に考えたとき、本当にやりたい医療をしようと、クリニック開業を決意しました。
そんなとき、書店で『こんな病院がほしい』を偶然見つけました。生まれてから死ぬときまでカバーし、病気さえも意識の成長と進化のきっかけにするというホロトロピックセンター構想に感激し、著者天外さんに会うため、佐賀の講演会に向かいました。そして矢山先生の診察で「頭の中は水銀だらけだよ。まず自分を治さないと」と言われて、札幌に戻るとすぐアマルガムを外しました。
ホロトロピックセンター札幌の創立記念パーティーでは、天外さんの講演とアシリ・レラさんのカムイユーカラがおこなわれました。私は北海道の広大な土地にホロトロピックセンターを創るという夢を抱き、設立されたのが「響きの杜クリニック」で、今年で開院10周年を迎えます。クリニックでは代替医療を中心に診療を行っていますが、中国の気功治療も積極的に取り入れています。5年前、中国で超能力者に出会い、空中から漢方を物質化して取り出してもらうという不思議な体験をし、その瞬間私の中で意識が大きく変わったのがきっかけです。それ以来中国の気功師を訪ねるツアーや中国から超能力者の気功師を招いて意識の変革のお手伝いをさせて頂くセミナーなども開いています。
世の中には、心と体全体から診ようとするホリスティック医学や、西洋医学と代替療法のよいところを統合しようとする統合医療などがあります。一方、ホロトロピック医療は「全体性に向かう」という意味があります。素粒子、原子、分子、細胞、臓器、人、家族、社会と、それぞれは集合することで能力を増していきます。そして地球、太陽系、銀河系、さいごは宇宙につながり、宇宙は絶対的存在です。
宇宙には無限のエネルギーが広がっていて、そのエネルギーにひずみが起きると、物質が形成され、意識が生じます。いわば、海の波の飛沫一つひとつが私たちであり、それはいずれまた海に戻っていくのでしょう。
すべての病気と出来事は、学ぶためにあります。ホロトロピック医療は、人間を宇宙的視野でみる壮大な医療であり、その実践に向けて努力していきたいと思います。
萩原優さん(イーハトーヴ クリニック/神奈川)
私は大学病院で消化器外科医として30年以上臨床経験を積み、西洋医学の恩恵は十分に感じていますが、その限界も実感してきました。西洋医学以外の方法で「がんの自然退縮」を達成した人たちも多く、単に肉体を診るだけではなく、魂や精神まで踏みこんだ根本的な医療が大切だと考えています。
そんな中、私は催眠療法を学び、宇宙は完璧で愛に満ちていると感じるようになりました。だれもが愛される存在で、自分で問題を解決する力をもっている。今は本来の生き方ができていなかったとしても、人はみんな「変わる力」をもっているので、それに気づいてもらうのが私の役目と考えています。
人には寿命があり、寿命が来たらこの世を去ります。人生は用意されている、と私は思います。人は、自分が主体的に行動していると考えていますが、実際は「神のリーラ(戯れ)」という言葉があるように、源にすべてがあって、それぞれがそれぞれの役目を果たしているのではないでしょうか。
川上に向かってがんばって泳ぐのではなく、流れに任せて浮かんでいると、海のほう
に人生の終着点がある。そんなふうに思いながら、患者さんと接しています。
原田美佳子さん(メディポリス東京クリニック/東京)
ホロトロピックネットワークのイベントには数年ぶりの参加になります。前回はメディポリス国際陽子線治療センター(鹿児島県指宿市)に勤務、現在は東京と、職場環境も変わりました。2014年には1年かけて、夫と子どもと世界一周の旅をしました。外科医として働き続け、さいごの五年は肝臓移植を担当し、陽子線治療にも数年携わって少し休養したかったのです。
アンドルー・ワイル博士のもと統合医学を学んだので、海外の統合医療の現場を見たくて、ハワイから中南米、グアテマラ、コスタリカ、南米ではパタゴニアにも、さらにキューバ、アメリカからヨーロッパ、インド、東南アジアを回りました。
メキシコには「治癒は神がもたらす。人間のちからではない」と看板に掲げ、賛同しない人は受け入れません、という方針の病院もありました。メキシコには、骸骨をモチーフにした産物やディスプレイが多く、骸骨の扮装をして練り歩くお祭りもあります。人はいずれ骸骨になるのだということに、悲壮感がありません。文化風習に裏打ちされることで、生きることと死ぬことのとらえ方が変わると、医療も変わるだろうと思いました。
インドの病院では、アーユルヴェーダに興味があり、五週間入り浸っていました。同い年の女医さんが的確な診断をして、100円前後の丸薬や軟膏を自分でつくり、会計も自分でこなしていました。アーユルヴェーダの死生観では、死を敵と見なしません。
私の印象では、恵まれない国で患者さんの満足度が低いかというと、必ずしもそうではありません。日本の医療を考えるとき、代替医療の保険適用範囲を広げるとか、政策システムを見直すなども大切ですが、まずは「病気が治ったら勝ち、治らなかったら負け」という医療界の根深い価値観を変え、さらに家族地域社会で、もてるものをどう再分配したらいいか、考えていくことが大切ではないでしょうか。
船戸崇史さん(船戸クリニック/岐阜)
船戸クリニックを開院して、22年になります。専門的ながん治療だけでなく、代替医療をとり入れた「オーダーメイド医療(統合医療)」を行うとともに、「自分の家で自分らしく生き、自分らしく死んで行く」ことをサポートする医療を目指しています。
ここに至るまでは、さまざまな経緯がありました。私はかつて消化器腫瘍外科医として勤務していて、病棟には私が手術した末期がんの患者さんがいました。患者さんに真顔で「自分はだめか」「もう治療法はないのか」と質問されて、私は答えに窮しました。医者として、気めの嘘をいうわけにはいきません。「あなたはどう思いますか」と問い返すと、患者さんはそれには答えず、「先生、あの世はあるのか」とさらに問うのです。あの世の存在は、私の中で大きなテーマになりました。
「死んで終わりではない」ということに、人は生きがいや安心を求めることがあるのでしょう。そんなとき「あの世の科学」を語る天外さんに出会いました。基調講演でお話があったビジョンクエストは、天外さんと一緒にやった洞戸の前に1度体験しています。標高3000メートルの風光明媚なコロラドの山中で、マリリン・ヤングバードさんと いうメディスンウーマンの指導で、3日間おこないました。ビジョンクエストの最中には、風速100メートルを超える強風が吹き荒れ、座っていても体をもっていかれそうで、恐怖に駆られました。私は木の根元に結界を張ったので、木が倒れてくるのではと、生きた心地がしませんでした。 私は「何かあったら迎えに行く」と言っていたマリリンを信じ、後にマリリンは私に「天を信じていた」と言いました。「信じる」とは深いことだな、と感じたものです。
今は野口法蔵さんを師匠として、坐禅断食を教えていただいています。これからもいろいろな方々と出合い、学んでいきたいと思います。