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バイオレゾナンス医学会全国大会での天外伺朗さんの講演

バイオレゾナンス医学会全国大会「人は治るようになっている 

                 あなたに伝えたい病気治しのヒント」7月5日 

の世とこの世のはざまで・・・  天外伺朗さんの講演 

 

人生にとって最も大切なのは「意識の変容」である 

 

私が提唱する医療改革は、貨幣経済の中における「病院」の存在を否定しており、かなり過激なものです。病気の治療を主務とする病院に変わり、「ホロトロピック・センター」と名付けた概念を提唱しています。そこでは、健康な人が「病気にならぬよう」ケアし、病気になったら治療だけではなく、患者さんの「意識の変容」をひそかにサポートします。 

 かって、故・池見西次郎医師は、患者さんが、「実存的変容」を遂げるとがんの自然治癒力が起こることを発見しました。私は逆に考え、人生にとって最も大切なのは「意識の変容」であり、病気になったらその絶好のチャンスが訪れる、と解釈しました。「変容」というのは「蛹(さなぎ)が「蝶(ちょう)」になるようなものであり、「蛹」が死ぬのではないかという恐怖のため、人々はブレーキを踏みます。したがって「死の恐怖」が抑圧されている間は起きにくいのです。病気になると、否が応でも「死と直面」せざるを得ませんので、抑圧が解け、変容での準備が整います。重篤な病気を克服した名経営者が多いのはそのためです。患者さんの意識の変容をサポートしたからといって保険の点数がつくわけではありません。ひそかにやりますので患者さんには言えず、宣伝にも使えません。つまり、医療者にとっては、貨幣経済的なメリットはいっさいないのです。したがって、この医療改革は、医療者の意識レベルがかなり高いことが要求されており、簡単に広く普及させるというわけにはいきません。 

 幸いなことに、多くの徳のある医療者の賛同を得て札幌から指宿まで15のクリニックが「ホロトロピック・センター」として認定されています。バイオレゾナンス医学会の矢山利彦理事長が2001年に開院された「Y.H.C.矢山クリニック」はそのⅠ号店でありYHCは「ヤマト(地名)ホロトロピックセンター」の略です。 

 

身体はすべてを把握している バイオレゾナンスやOリングテストは、身体を可視化するための手段 

 

医療改革と言っても、私自身は医療者ではないので、全体的な概念は語れますが、医療の中身に関してはタッチできません。しかしながら、18年も見てくると「医療」の本質に関していろいろと考えが巡ることがあります。 

「分別がある」というのは褒め言葉です。人生経験を積んで、社会性を身に着け、まともな判断が出来る状態。とんでもない判断をしない状態を言います。ところが、仏教で「分別知」と言うと、「対象を区別し、分別する認識判断」であり、「凡夫の浅はかさ」のあらわれと言うことになります。何を区別するかと言いますと、「聖・誤」、「良い・悪い」、「正義・悪」、「浄・垢(く)(あか)」、「清・濁(だく)」、などの二元性と「主体・客体」、「観察者・観察対象」などです。「分別知」というのは、対象を客観的に調べ、分析し、解析して論理的に得られる智恵なのです。その意味では、「西洋医学」は「分別知医療」ですし、「科学」そのものが「凡夫の浅はかさ」のあらわれということになります。近代文明社会のほとんどの知恵は「分別知」、「凡夫の浅はかさ」として切り捨てられます。仏教はそんなに偉いのでしょうか? 

それでは仏教の悟りの境地であり、「般若」とも呼ばれる「無分別智」とは、いったい何なのでしょうか?「区別」や「分析」をしないで、何がわかるのでしょうか?仏教書をいくら読んでも、納得のいく説明はありませんでした。実例は皆無でした。長年にわたって、私は「無分別智」というのは、「宗教的はたわごと」ではないか、と疑っていました。 

ごく最近になって、バイオレゾナンス医学会の中心である「ゼロサーチ」や「0-リングテスト」などの、いわゆる「身体智」というのは「無分別智」の絶好なサンプルであると気づきました。「身体」はすべてを把握している、というのが「身体智」であり、「バイオレゾナンス」や「0-リングテスト」というのは、それを可視化する手段なのです。 

たとえば、手のひらにタバコや洗剤などの毒物を載せますと、0-リングはパカッと開きます。薬の場合には、効くか効かないかだけでなく、その人にとっての適量を調べることもできます。包装などでごまかされることもなく、対象物を破壊する必要もないのです(これを非侵襲的と言います)。まるで、神の目で見ているように、すべてがお見通しなのです。 

 

科学的に解明されずとも、世の中は「無分別智医療」の時代に入っている 

 

おなじことを「分別知」の科学でやろうとしますと、対象物を破壊して(侵襲的)X線クロマトグラフィーなどで分析し、膨大なデーターベースを突き合わせて体にいいか悪いかを知識として判断します。結果は一般論であり、「その人にとっての適量」などはわかりません。おまけに知識として知っていても包装などで簡単にごまかされてしまいます。「バイオレゾナンス」や「0-リングテスト」は、動作原理は科学的に解明できていませんが、医療の世界にかなり入り込んでおり、治療実績が大幅に向上しています。もう世の中は、「無分別智医療」に入っているのです。 

『般若心経』には、「不生不滅・不垢不浄・不増不滅」という記述があります。上記の、二元性を超越している「不垢不浄」だけではなく「不生不滅・不増不滅」、つまり「時間」をも超越しているのが「般若」だというのです。このことから私は「無分別智」を「あの世の智慧」と呼んでいます。「あの世」といっても、一般的に信じられている「死んでからいくところ」ではなく、物理学者のD・ボーム(1917年~1961年スイスの心理学者)の「集合的無意識」の記述から導かれる「目に見える物質的な世界の背後に存在する、目にみえないもうひとつの世界」のことなのです。 

「あの世」の定義として、私は下記の4つを挙げています。 

 

1.非局所的 

 

2.時間・空間が定義できない 

 

3.観測できない 

 

4.因果性が成立しない 

 

1.の非局所的というのは常識に一致します。東京で死んだ人の幽霊がニューヨークで出てきて も誰も文句を言いません。 

 

2.は、たとえばプランクスケール(10の-33乗センチメートル)以下の寸法では、揺らぎが大きすぎて時間も空間も定義できないことに似ています。 

 

3.は、素粒子が量子状態(波動的)にあるとき、観測すると粒子の状態に変化することに似ています。シュレジンガーの波動方程式で記述されている量子状態は、線形な時間発展をしますので、必ずしも「あの世」ではないのですが、きわめて近いものがあります。粒子は目に見える物質であり「この世」の状態なのです。観測すると「この世」になってしまいますので、「あの世」そのものは観測できません。

 

4.は量子力学の特徴であり、観測装置を置くと、それと干渉するはるか以前に量子状態が破れて粒子が出現すること、などが例です。時間がなければ因果関係も成立しません。シュレシンガーの波動方程式では、時間を超越している「あの世」を、近似的にすべての可能性を含んだ形で記述しています。つまり、手のひらの上の毒物を飲んだ未来も含まれているのです。一切の分析、解析をしなくても、未来の可能性がわかれば、結果は確定的に知ることができます。それが、「身体智」として表現されるのです。「この世」では、選択したひとつ未来しか出現しませんので、「毒物を飲まない」という選択をすれば、無事に生きていけます。 

 

バイオレゾナンス医療というのは、垣間見た未来の可能性からベストな選択をして「この世」を生きる智慧なのです。 

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