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アシリ・レラさん

アシリ・レラさん、真言宗の口羽和尚、天外伺朗さんを導師として、「北海道日高地方のアイヌの聖地を巡るツアー」が開催されました(2016年5月) レラさんは炭焼き小屋に雷が落ちたときに生まれたアイヌのシャーマンで、アイヌの伝統と知恵を継承する活動をしています。天外さんは1997年にレラさんと出合い、アイヌと北米インディアンとの縁を通して、先住民族文化に親しんできました。 伝統的な日本家屋は北東を「鬼門」と呼んで結界を張りますが、これは主に東北地方で虐殺されたアイヌの怨念を封じるためでした。天外さんは四国の剣山でのパイプセレモニー(2014年5月)をきっかけに、日本各地の封印を解くという天啓をうけ、「日本列島 祈りの旅」を始めることにしました。 その初回にあたるツアーでの、アシリ・レラさんのお話の一部をご紹介します。


 

 

 

 

 

 

 

 

―― 今日、私たちが手を合わせた岩内は、300年以上前に凄惨な殺戮があり、おそらく300人以上亡くなったところです。当時の人口は少なかったので、あたりに住んでいたアイヌはほぼ絶滅したことになります。30数年前、ある托鉢僧が供養のためお堂を建てましたが、幽霊が出ると怖がられて、人はあまり近づきません。あそこには地殻変動で1万年前の地層から湧きだした水の流れる滝があり、冷たくておいしいのですが、汲みにくる人もいません。それでも、私たちの仲間は祈りのために通い続けています。私は左の目で、向こう側の世界を見ます。祈るとき、私は別人に変わります。虐殺された怨念の封印を解くには、祈りしかないのです。今日の祈りのときは、口羽和尚の読経中、川面がきらきら光って草が揺れたことに、皆さん気づかれたでしょうか。祈りの後は、それまで晴れていたのに雨がぱらぱら降りました。成仏した霊の「ありがとう」のサインだと思います。今世紀は神のサインがだれの目にも明らかになるといわれますが、その通りのことが起きました。
―― 明日は、和人に対して蜂起したシャクシャインが殺害された場所を訪れます。(注:シャクシャインは日高アイヌの首長。1669年(寛文9年)、蝦夷全域のアイヌに呼びかけ、松前藩に対して蜂起を起こすが、和睦の宴会で謀殺される(スペチャリの乱)。この戦いの後、松前藩のアイヌ支配はいっそう強化された)当時、アイヌに対する不正と抑圧は過酷なものでした。和人の商人は、取引のとき、シャケを「始まり1、2、3、4、5、真ん中、6、7、8、9、10、終わり」と数えて、10匹と言いつつ13匹もっていき、価値のないものを宝物と偽り交換していくようなことをしました。納得できないアイヌは、手打ちになっていたのです。アイヌと行動を共にした和人に、越後庄太夫がいます。庄太夫は崖から落ちて身動きできなくなり、クマに食われるのを待つだけだったところ、アイヌに連れ帰られ、手厚く介抱されて命をとりとめました。後に、庄太夫は和人のコタン焼き討ち計画を知り、命の恩人を殺させるわけにはいかないと、早馬を走らせてアイヌを逃がしました。シャクシャインが和議の宴に誘いだされたとき、庄太夫は奸計を知らせようとしましたが、間に合いませんでした。シャクシャインは毒入りの酒を飲まされ、後ろから首を落とされました。庄太夫は見せしめのために生きたまま火あぶりにされました。アイヌの人々が助けようとしましたが、庄太夫はアイヌ語で「逃げろ」と叫んで、槍で突かれました。「アイヌは命をおしめ、私は生きたまま焼かれるので、死なない。アイヌを守り続ける。アイヌは死んではいけない。生きて栄えろ。大勢の人が集まって祈りが行われ、日輪が出て鷹が舞うときに、私はよみがえるだろう」と叫んだと伝えられています。庄太夫は鷹匠だったので、鷹の姿として「ありがとう」のサインを送ってくれるのでしょう。庄太夫を助けようとした30人ほどのアイヌも殺害されました。明日はその場所も訪れますので、お祈りしていただきたく思います。 庄太夫など、アイヌを助けようとした和人は、裏切り者として、見せしめで生きたまま焼き殺されました。私が庄太夫の殺害場所で祈ったときは、日輪が出て鷹が空を何度も舞いました。庄太夫は鷹匠だったので、鷹の姿として「ありがとう」のサインを送ってくれたのでしょう。

庄太夫はアイヌの神さまとして祀られています。

 

―― 東北地方で和人と戦ったことで知られる首長に、阿弖流為(注:アテルイ。生年不詳~802年。789年に奥州に侵攻した朝廷軍を撃退したが、征夷大将軍の坂上田村麻呂に敗れて処刑された)がいます。蝦夷との戦で、田村麻呂は北上川が朱色に染まるほどアイヌを殺害しましたが、川面にうつる自分の姿を見て、自分もアイヌの血をひいていると気づいたという伝承があります。田村麻呂の父親は、蝦夷でアイヌの女性を身ごもらせ、生まれたのが田村麻呂だったのです。 田村麻呂は「これ以上アイヌを殺さないでほしい」と帝に頼み、和睦のため阿弖流為を京都に連れて行きますが、朝廷は阿弖流為を殺害しました。 阿弖流為もシャクシャインも、和平交渉を口実に呼びだされて、殺されています。和議といって油断させてから殺害するのが、日本のやり方でした。シャクシャインの蜂起のときも、「食糧をやるから和議をしよう」と呼びだして、食べものを取りに来たアイヌを反対側から槍で突き殺すとか、和睦の宴で毒殺するということが、頻繁におこなわれました。 アイヌは好戦的ではなく、だまし討ちという文化はなかったので、力は強くてもひとたまりもありませんでした。
<天外さんのコメント:アイヌは文字をもたず、言葉に信を置きます。「和平しよう」と言われたら、その言霊を信じます。和人にとって謀殺は戦術の一つでしたが、アイヌにとって奸計や暗躍は想像できないことでした。>

 

―― 私はアイヌの文化、歴史、物語の伝承者であり、語り部です。後継者が少ない中、機織り、草木染、薬草など、アイヌ文化を取りもどすため懸命に活動してきました。 アイヌは文字をもちませんが、記憶力が優れていました。私の母は、5,6代前の先祖のことも詳しく覚えていました。かつては、30分、1時間、ときには夜明けまでかかるストーリーを、親が子に囲炉裏端で伝承してきました。テーマはすべて道徳教育です。アイヌの伝統的な教育は、修身から始まったのでした。 口承で文化をつないできた先祖はすばらしいですが、私は公にしていい物語なら書きとめようと考えています。特に薬草については、本として記録に残すべきという信念があります。アイヌの薬草の知識には、さまざまな病気を治す可能性があり、苦しんでいる人を助けたいのです。お年寄りから聞いたことをもとに酵素をつくり、希釈率など自分の体で実験しながら、研究をまとめているところです。


―― 20年ほど前に亡くなったアイヌ文化の伝承者(おりたすてのさん)から、「学者には話していないが、お前にだけは話せる」と教えられた話があります。そのかたは、こう語りました。「私が死んで10年、20年したら、大きな喜びに選ばれる人たちと、大きな悲しみにもっていかれる人たちが、同時進行で現れるだろう。 選ばれた人たちには、地球をもとに戻すために努力するという、苦労がある。一方、悲しみにもっていかれる人たちもいるが、のこされた者は悲しむことはない。それが親でもきょうだいでも、彼らは必ずあなたたちのもとに戻ってくる。魂は永遠に不滅だから、彼らは女性の子宮を借りて戻ってくるだろう。 カムイは、正しいことを教える父と、正しいことを教える母を必要としている。壊れた魂を戻すには、その方法しかない。だからカムイは、そのような仕掛けをするのだ」 そのかたが言っていたのは、いまの状況のことだと思います。私たちは、それを祈りによって成し遂げようとしているのです。
<天外さんのコメント:日本にはかつて、アイヌや出雲族など様々な民族がいました。出雲族はインドから日本に移動し、出雲王国をつくりあげた一族ですが、虐殺されて王国の存在すら封印されています。悲惨な過去は、日本を統一した天孫族の歴史書には記されていません。歴史書は、戦に勝利した側が都合のいいように書き換えるからです。 しかし、各地にのこる口承の歴史は、それらの片鱗を伝えています。たとえば、鬼や天狗などの伝承は、アイヌの縁であることが多くあります。矛盾する伝承が山ほどあり、真実はわかりません。とはいえ、葬られた歴史の中で封印された怨念は、解いていかなくてはなりません。慰霊の旅は、レラさんやぼくが生きている間には終わらないので、この記録を次世代につなげたいと考えています。>


 この日は、口羽和尚の歌いあげる見事な「イヨマンテの夜」を聴くこともでき、ご参加の皆さまには忘れられない夜となったことでしょう。口羽和尚は長年アイヌの供養にとりくみ、釧路コタンのかたを招聘して本州で初めてアシリチェップノミ(注:新しい鮭を迎えるためのアイヌの儀式。神からの贈りものに感謝する)をおこなうなど、アイヌとは深い関わりがあります。 ご縁のある方は、引き続きおこなわれる「日本列島 祈りの旅」にご参加いただけたらと思います。

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