並木良和さんの講演録と天外さんのお話 2019年5月28日、東京ウィメンズプラザ
ホロトロピック・ナイトサイエンスで、「並木良和さん講演会」が開催されました。分離から統合に向かう宇宙の流れの中で、人類が目覚めゆく先に訪れる未来と、その道のりを歩むためのヒントが語られました。
並木さんご講演の後は、天外さんのお話の他、ご来場くださった精神世界のオピニオンリーダーの皆さま方から一言メッセージをいただくなど、笑いの絶えないひとときでした。ここでは、並木さんのご講演と、天外さんのお話の一部をご紹介します。(東京ウィメンズプラザホール、2019年5月28日)
◆並木良和さん:スピリチュアル・カウンセラー、作家。世界中に約8000人のクライアントを抱える。幼い頃からサイキック能力を自覚し、霊能者船越富起子氏に師事。整体師を経て2006年よりスピリチュアル・カウンセラーとして活動を始める。「無償の愛」を体現したワークショップと講演会は即日満席となる。次世代のリーダーの育成にも取り組む。著書『ほら起きて!目醒まし時計が鳴っているよ』『みんな誰もが神様だった』『目醒めのパスポート』。
―― 世界を大きく感じるか、小さく感じるかは、自分の意識の大きさしだいで変わります。自分の意識が拡大すると、周りは小さく見えてくるのです。それと同時に、これまで視界に入ってこなかったものが視界に入ってくるので、逆に世界の広大さを感じて、謙虚になります。それは、自分を小さく見積もって謙虚になるというのとは、違う生き方です。
ぼく自身、そんな変化を体験しています。ぼくは以前、家で過ごすのが好きで、まるで引きこもりのような暮らしをしていました。ところが、スピリチュアル・カウンセラーの仕事を始めることで、本来の魂の道を歩み始めると、今まではできないと思っていたことができ、行かれないと思っていたところに行けるようになり、押し込めていたエネルギーが解放される体験をしました。そして地球の裏側にも、行こうと思えば行かれるのだと気づいてからは、ますます世界を小さく感じています。
―― さらに視野が拡がり、自分が宇宙そのものだと気づいてからは、自分に意識を向けるだけで、宇宙が視界に入ってくるようになりました。自分は神聖な存在であり、地球を優に抱え込むような大きな存在なのだと気づくことで、これまで捉えられなかったことが捉えられるようになります。
意識とエネルギーの全てが自分に取り戻され、小さく縮こまっていた認識力と感性が広がり、肉眼では捉えられない世界が存在することがわかるようになるのです。
目に見えるものは、真実の数パーセントにしかすぎません。見えない世界のほうがずっとずっと大きいのに、僕たちは目の前の現実が全てであると思い込み、ほんの数パーセントの真実に躍起になっているのです。だからこそ、見えない世界に心を開いて、認識を広めるとともに、目の前の現実を大切に生きること。すると、人生を十二分に体験することになり、人生に100パーセント満足してこの世を旅立つことができるでしょう。
―― ぼくは「目を醒ます」ということをテーマに講演していますが、15年くらい前までは、同じ話をしても、耳を傾ける人は多くありませんでした。ところが、2017年あたりから、目を醒ます準備のできた人たちがどんどん増えてきました。このムーブメントは大きな流れとなり、2021年の冬至を過ぎる頃には多くの人々の意識が反転するでしょう。
意識の在り方を、夢を例に説明すると、寝て見る夢の中では、時間も空間もくるくる簡単に変わったりします。たとえば、今ハワイにいたと思ったら、急に中国に移動していたり物理の法則を越えた状況が展開したりしますが、そうした柔らかな意識こそ、本来のぼくたちの意識の在り方に近いのです。
つまり、これまで夢だと思っていた世界が実は現実で、現実だと信じて疑わなかった世界こそが夢だったのだ、ということに本当の意味で気づくと、今までとはまったく違う意識で、ここに存在することになります。
たとえば、夢の中で川の向こうに渡りたいとき、ぼくたちはどうするでしょうか。明晰夢と呼ばれる、意識を保ちながら夢を見ている状態だと、自由に橋をかけてみたり、夢のイメージをコントロールして、空を飛んで渡ることもできるのです。僕たちが現実と呼んでいる日常を、そんな軽やかな意識の状態で生きられるようになると、ちょうど明晰夢をみているように、やりたいことが簡単にできるようになり、行きたいところへは、どこへでも行かれるようになります。それが、「目を醒まして生きる」ということです。
―― また目を醒ますということは、愛や調和という、ぼくたちの本質を意識していく、ということでもあります。
愛とは何か、瞑想したり追求したりする人もいます。けれど、ただ目を醒ましさえすれば、愛とは探し求めるものではなく、自分が愛そのものだったのだと気づくことになるでしょう。
自分につながれば、必要なすべてを知ることができるようになります。たいせつなのは、愛を追求することではなく、それが自分の中にあったのだということを憶い出すことです。
「天使や仏陀やイエスとつながりたい」と願う人も多くいますが、真実は、彼らは自分の内に存在しているのであり、あえて「つながる」ものではありません。「つながる」と言うと、まるで「外に」存在しているかのようです。天使も仏陀もイエスも、自分の中に存在していることに気づき、それだけではなく、「自分の中にすべてがあった」のだということを憶い出す感動は、言葉では、とても言い表せないほどに深いものです。
そんな豊かさに気づき、愛に目を醒ますと、自分の本当の価値に気づきます。愛そのものでここに存在しているだけで、自分にはとてつもない価値があることが、明確にわかるのです。
―― 自分で自分の価値を知っていれば、誰かにジャッジされても、影響を受けることはありません。また、他人を見るときは、いつも愛の視点から眺めることになるので、全くジャッジがなくなります。
例えば、誰かが、いわゆる人の道から外れるふるまいをしていたとしても、その人を本質的には愛の存在として見つめることになるので、なぜそういう行動をするのか、理解を示すようになります。
つまり突き詰めて言えば、その人は周囲からの愛を求めているのです。
ちょうど、子どもが大人のアテンションがほしいとき、わざと問題を起こしたりするのと同じです。
そのように捉えると、「その人を理解しよう」という動きよりも、その人をまるごと包み込み、本当の意味で認め、受け入れ、ゆるせるようになります。
それは「甘やかす」こととは違います。いつも愛そのものでいると、そのときその場で何をするべきか、その人にどう対応すればいいのか、という最善がすぐにわかるようになります。場合によっては、厳しい対応をすることもあるでしょう。単にいいなりになるのとは違うのです。
―― 愛は、頭で解できるものではありません。ただ、自分につながることで、「愛を知る」ことになるのです。
そのためには、人のことは放っておくことです。「あの人はこんなことをしている」などと気にしていると、意識が外に向いてしまい、自分につながることはできません。
「自分につながることに集中すると、わがままになりませんか」という質問を受けることがあります。その通り、いわゆるわがままになります。意識を覚醒させるということは、完全に自己中心的になるということです。勇気をもってその道を進むことが、「目を醒ましていく」ということです。
多くの人は、人に合わせることが大切である、と教わってきているので、「人に合わせる必要はない」などと言われると、戸惑います。「主人が怖いんです。主人の言うことを聞かないと暴力をふるわれるんです」という人もいます。しかし、その人自身に「暴力を振るわれる」という周波数がなければ、暴力を体験することはありません。
自分の人生は、自分に責任があります。それは、暴力をふるわれる側が悪いというのではなく、自分の人生の主導権は自分にある、ということです。
周りが変わらないと自分は幸せになれない、というのではなく、自分に集中して、人と合わせることをやめる。そして、出てくる不安や怖れを手放すことで統合すると、自分が体験している現実を、自分の望むように変えていくことができるようになります。
―― 「自分に集中すると、周りに迷惑をかけるのではないか」と、気にする人もいます。「私がしたいようにすると、周りの人が嫌そうな顔をする」と言う人もいます。けれど、そもそも外に見えるもので全てを理解しようとすることが、罠なのです。
周りがつまらなそうにしている、泣いている、と見えても、それはその人の主観にすぎず、本人がほんとうはどのように感じているかは、本人にしかわかりません。本当は面白いかもしれず、泣くのを装っているかもしれないのです。
とにかく自分の体験することは、自分に100パーセント責任がある。相手が体験することは、相手に100パーセントの責任がある。これをしっかり理解することです。
あなたのしたことが相手にとって迷惑かどうかを決めるのは、その本人です。そもそも、その人自身に「迷惑をこうむる」という周波数がなければ、その人が「迷惑をかけられた」という体験をすることはありません。
ぼくたちは子どものころから、「人の気持ちを考えなさい」「自分よりも相手を優先して」と教えられてきました。だから「人の反応を気にしない」と急に言われても、不安や怖れが先立ってしまい、実行するのは、口で言うほど簡単ではありません。けれど、敢えて言いますが、勇気をもってその刷り込みを手放しましょう。
目を醒まそうとするなら、自分に集中して、生き方を反転させなければなりません。なぜなら、僕たちは外に合わせることで深く眠ってきたので、目を醒ましたいなら、全くその反対をする必要があるのです。「No」と言えない人の前でも、自分の本心が「No」なら、勇気をもって「No」と言ってみるのです。「お世話になったから」「恩があるから」と本当の気持ちを抑え込むことで我慢してしまうと、自分の意識から離れて、深い眠りに陥ってしまいます。
―― 目を醒ましたいのなら、今までの生き方をやめる必要がありまります。ぼくたちは何世紀も眠ってきました。つまり、眠りの生き方に慣れ親しんでいるので、中途半端に取り組むのではなく、ほんとうに真剣にならなければ、目を醒ますことはできません。
友達とランチに行くとき、「本当はフレンチがいいけど、みんながイタリアンって言うなら、それに合わせよう」とするのではなく、感じているのであれば「私はフレンチがいいな」と、ちゃんと言ってみる。そんなささやかなことから、自分の意識につながっていくことができるのです。
人は眠って生きているときには無価値感から、「人に認められたい」「人に愛されたい」という思いが強くなります。一方、目を醒まして本来の自分とつながるなら、そのような空虚感は一切なくなり、「認められないのではないか」「愛されないのではないか」という不安や怖れもなくなります。すると、途端に人間関係が風通しよく軽やかになり、制限がなくなっていきます。
ぼくは、通りすがりの人でも、もし話しかけたいと思ったら、その人にどう思われるかという余計な抵抗が一切ないので、気軽に話しかけることができます。いわゆる常識の枠から抜けることが、目を醒ますことであり、常識の枠に入ることが、眠ることなのです。
―― 僕たちは眠っていると、例えば誰かに好かれたい一心で、「あなたが好きなものは、私も好き」と、自分を押し殺してその人に合わせることがあります。
けれど、それで受け入れられたように見えても、そもそも自分とつながっていないとき、あなたは本当の自分を受け入れられたわけではありません。表面的には仲良く見えたとしても、ほんとうの意味で周りとつながっているのでも、好かれているのでもないのです。
自分とつながり、愛そのものになると、「嫌われる」という意識がなくなります。周りの反応と自分の反応が直接リンクしなくなるので、例えば、変な言い方ですが、「嫌い」と言われても、「すごく愛されている」と捉えることもできるのです。
ぼくたちが日常、現実だと思っているものは、実は自分が使っている周波数によって映し出された映像なのです。映像そのものはニュートラルですから、そもそも「意味」などありません。つまり、自分で好きなように意味づけすればいいのです。もし「嫌い」と言われたら、「それがこの人の愛の表現なのだ」と解釈しても良いということです。そして、そんなふうに現実を楽しんでいると、ストレートに「あなたが好きだ」と言われる現実を映し出し始めるのです。
―― 分かりやすく言うと、絶望的な人生を体験しているとき、それ外してくださいは、自分の中にある「絶望感」という周波数がフィルムになって、現実というスクリーンに映像化されているにすぎません。そのことに気づき、愛と調和という本来の自分の本質につながるなら、その周波数から映像化が始まるので、当たり前のように外側の現実にも愛と調和が反映されていくことになります。そうした「現実創造のカラクリ」に気づいた人たちが、目を醒ました人たちであり、そういう人たちが増えていくことで、当然、社会も変わっていくでしょう。執着心もなくなるのでパートナーシップはとても軽やかになり、もしパートナーが変わることになったとしてもスムーズです。創造主であるあなたが、幸せなパートナーシップを心から望んだら、理想のパートナーが現れますし、もし現れないなら、本心では一人で自由に生きることを望んでいるか、パートナーを得ることへの抵抗があるということです。
どんな状況にあっても、愛と調和につながり、安らぎを感じることはできます。内なる平和とつながり、平穏な周波数を放つなら、その穏やかな周波数は電波のように地球を覆い、瞬く間に平和が実現するでしょう。
さまざまな問題だと思っているものは、僕たちが眠りの意識から映し出したものです。だから、一人ひとりが自分につながり、目を醒ましていくことで、山積みされた問題は、溶けて消えていくことになるのです。
―― ほんとうの自分は、光そのものの存在です。だから本来の自分につながると、「自分はなんて美しい存在なのだろう」と、そのあまりの美しさに涙があふれるほどです。ちなみに、お化粧やおしゃれも、他人に良く見られるため、褒められるためにするのではなく、自分が心地良いからする、に変わっていきます。とにかく、自分にとって心地良くない周波数(感情)が出てきたら、すぐに外していきましょう。自分の周波数が変われば、それを反映するように、現実も変わっていくことになります。以前、「ワクワクすることにお金を遣うと、豊かさが引き寄せられる」というバシャールという宇宙存在の情報を信じ、大金を遣い果たして、破産してしまったという人の話を聞いたことがあります。でも、バシャールのこの情報は真実です。にも関わらず、何故このような体験をすることになったのでしょうか?これは、つまり、お金を使うことによって、「本当に大丈夫なのだろうか?」という疑いや、「このまま使っていったら、破産してしまうに違いない。」という怖れを、外すのではなく、そのまま使い続けていったため、その周波数が映像化され、破産という現実を体験することになったのです。もし、この方が、ネガティブな周波数を感じるたびに、それを捉え手放し、無限の豊かさという本来の自分の意識に繫がっていっていたら、それはそれは素晴らしい現実を映像化し、体感していたことでしょう。
―― 「自分が宇宙の中心である」という意識を、しっかり持ってください。そして、それが真実なのです。そんな畏れ多いこと・・・なんておこがましいんだ。・・・と思うでしょうか?でも、僕はその真実を憶い出し、皆が今世持ち合わせている最大限の可能性を発揮して、十二分に人生を生きて欲しくて、講演をしています。そして、もしあなたが今世、目を醒ますことに心が決まったら、中途半端をするのではなく、生き方に変えてほしいのです。ネガティブな周波数を、たまに外したり、また次には外すのではなく、感じるのに使ってみたりしている内は、目を醒ますことはありません。つまり、それは眠ったり起きたりの繰り返しに過ぎず、アップダウンのもととなり、疲れてしまうのです。
宇宙は加速しているので、上記のような生き方をし続けていれば、目醒めという上向きのベクトルと、下向きのベクトルに、八つ裂きになってしまいます。
どちらかに決めない限り、どんどん苦しくなっていくことに、気づいていただけたらと思います。そして、中途半端は全く面白くありません。目醒めて生きるというのは、「あぁ、気持ちが良い・・・ふわふわ浮いているような感じ・・・」などど言うものではなく、しっかりとグラウンディングし、ハイヤーセルフという本来の自分のエッセンスそのもので、どこまでも自由に豊かに、そして軽やかに、自在にこの世界を生きることなのですから。
―― ところで、ネガティブな周波数を外すときには、そのネガティブな感情を鉄の塊として想像してみてください。その周波数は、あなたの過去世という転生の歴史の上でも、この人生でも、何世紀も使いこんできたものですから、塗り重なって固く重くなっているはずです。その鉄の塊が、胸やおなかなど、ネガティブな感情を感じている場所にあるのをイメージしましょう。次に、自分の手が強力な磁石になっている、と想像し、それをベタっと、鉄の塊があるところにくっつけ、手を前方に動かしながら、ズルズルと体から引き出されてくるのをイメージしてください。ポイントは、引っ張りだされるところを丁寧にイメージすることです。そして完全に目の前にドンっと手の平に取り出された鉄の塊を、しっかり眺めてみましょう。
脳は、それが実際にそこにあるのか、想像の産物なのかの区別がつきません。また、自分の体の外に見るものを、自分とは別のものととらえる習性があるので、今までは、そのネガティブな感情を自分のものだと思っていたのが、外に引き出して見ることで、「自分とは別物だったんだ。」と捉えるために、手放すことができるわけです。
そうして取り出した鉄の塊を、宇宙の彼方に向かって、ポンっと放り投げるのですが、そのときに、鉄の塊のまま、飛んでいくのではなく、ポンっと手を上に向けて動かした瞬間に、塊がザッと砂の粒子のように細くなって、宇宙の彼方に勢い良く吸い込まれていくのをイメージしてください。それは瞬く間に宇宙の彼方に吸い込まれ、そこで綺麗に浄化され、キラキラとして黄金の光の粒子になって、またあなたのもとに戻って来ます。それを深呼吸しながら、取り出した場所に、どんどん吸収していき、最後の一粒まで光が戻って来たら、両手でパタンっと扉を閉めるように、胸なりお腹なりに手を当て、一呼吸、大きく深呼吸して終了です。改めて、体感に意識を向けると、不思議と軽くなっていたり、感じていた重たい感覚がなくなっているのに気づくでしょう。感情は、まるで玉ねぎの皮、もしくはミルフィーユのように何層にも重なっているので、一度では外せないこともあります。ですので、根を詰める必要はありませんが、根気強く外してみてください。
―― 周波数を変えないかぎり、どんな努力をしようと、人生が根本から変わることはありません。これからの世界では、愛と調和という本質から外れるものは存在し続けることができません。だからこそ自分軸に一致し、愛と調和に基づいて生きることが何より大切であり、世の中は、簡単さシンプルさ、そしてスムーズさが主流となってくるのです。
自分に意識を向けて、自分と和合し、本当の調和へとシフトしていく。そして愛と調和のエネルギーそのもので存在する。ぼくがこのことを今、最大限皆さんにお伝えするのは、来年の春分、2020年3月20日から、大きく開いていた宇宙のゲートが閉じ始めるからです。そして、2021年12月21日、冬至には完全に閉まることになります。そうなったら僕はもう、目を醒ましますか?どうしますか?という呼びかけはしないでしょう。
そのタイムリミットまでに、目を醒ましていく流れと、今までどおり眠り続ける流れの、どちらを選ぶか・・・その呼びかけが今、宇宙から僕たち全ての存在に向けて、やってきているのです。
★天外伺朗さんのお話(一部)
―― 並木さんが語られたテーマは「無分別知」、仏教でいう「般若」のことです。分析したり判断したりしようとするこだわりが消えると、恐れも消えていきます。
ただ、老子の教えにあるように、「語りうるタオは、タオではない。名づけうる名は、名ではない」。言語そのものが、世界を分離して解釈するツールであるために、無分別知は本来、言葉では語りえないものです。
たとえば、「内にあるものが、外側に現れる」という指摘は、語られる前まではその通りなのですが、ひとたび言葉で表現されると、一人ひとり受けとめ方が異なり、また、一人ひとりが違う宇宙を作っているために、なかなかその真意が伝わりにくいものです。
―― 「内にあるものが外側に現れる」というテーマについては、こんな例があります。天外塾を受講している経営者から、「いつも遅刻する従業員が二人いる。私が烈火のように怒っても、遅刻が直らない。どうしたらいいですか」と相談されたことがあります。
その人にとっては「遅刻する従業員が問題だ」という状況が真実なので、まずそれを受容しないと対話になりません。
ぼくは「お困りですね」と受け入れたうえで、こう指摘しました。
「遅刻をなくす手段はあるかもしれませんが、あなたの内側にも問題があるのではないか。怒りが湧き上がるというのは、あなたが怒りのモンスターを抱えているからです。
遅刻がおさまっても、あなたがモンスターを投影する現象は、別の形で出てきます。遅刻は解決しても、あなたの問題は解決しませんよ」。
すると、その方は、1か月間、怒りのモンスターに対処する瞑想をおこないました。モンスターが消えると、フレックスタイム制を導入するというアイディアが浮かび、遅刻という現象はなくなり、さらに業績も上がったそうです。
―― ぼくは、天外塾の最初の6か月間で、「考えない・行動しない・判断しない・コントロールしようとしない。ただ、感じる」という、ノン・ジャッジメンタル・アプローチを指導します。ぼくはそれを、インディアンの長老から学びました。
自分が「問題」として捉えているこだわりを手放すのは、特に経営者にとっては、難しいことです。経営者は、問題を設定して解決する、次から次へと判断を下すというアプローチに慣れているからです。
そこで、ぼくは、ノン・ジャッジメンタル・アプローチを浸透させるために、「鳥の瞑想」を編み出しました。これは、自分の斜め後ろ右側を鳥が飛んでいて、自分を眺めているところをイメージする、というものです。自分がどんなにすったもんだしていても、鳥は常に客観的に冷静に中立的に、いい悪いという判断なしに、自分を観ている、と瞑想します。
このとき、鳥は真我の象徴です。無分別知に気づかせるには、「鳥の瞑想」は、とても有効です。