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山川亜希子さんの講演録 2019年4月11日、東京ウィメンズプラザ

―― 私は夫とともに34年前から翻訳、著作、講演活動をおこない、精神世界を紹介する活動をしてきました。振り返ると、運命だったとしか思えません。

 夫とは英語学校で知り合いました。私は大学卒業後、何をしたいかわからないまま大学院に進学し、ノイローゼのようになって学校に通えない状態が続いていました。同じ頃、夫は大蔵省から外務省に出向になりました。マレーシア赴任が決まったのをきっかけにプロポーズされて、卒業後すぐ結婚したのです。

 外国生活、結婚生活、外交官夫人という三つを初めて体験しましたが、若さもあって三年間楽しく過ごしました。

 帰国してから、私は就職して、30代は働いて過ごしました。夫はひと付き合いもよく、私たちは人生の使命など考えることもなく、精神世界とは無縁に、夫婦ふたりそのときどきを暮らしていました。

 

―― ところが、40代になる頃、夫が英語の勉強のつもりで「気づきのセミナー」を受けたことがきっかけで、人生ががらりと変わり始めました。夫は「何のために生きているのだろう」と真剣に考えるようになったのです。

 はじめ、私は夫の変化がいやでたまりませんでしたが、私自身にもさまざまな出来事が重なって、結局、セミナーを受けることになりました。

 それは劇的な体験でした。私は生きるに生きられない、死ぬに死ねないような思いをして、エゴの死を体験し、人生が変わりました。セミナーが終わったとき、世界が突然きらきら輝いて見えて、何が起きたのだろうと思いました。

 

―― その後すぐ、アメリカのワシントンDCに転勤した私たちはアメリカ生まれのそのセミナーをさらに受講することにしました。その直前、アメリカ人の友達が、「自分自身を愛することが一番切なのだよ。もし自分を好きであれば、君の人生には何一つ問題は無いからね」と教えてくれました。その夜自分を愛しているかどうか、よく見てみると、自分が大嫌い出あることに気づきました。そしてセミナーを受講している間に、なぜ、自分が大嫌いなのかわかりました。家族で3人目の女の子で、しかも戦争中に生まれたからでした。幼い頃、母がいつも「あなたは女の子だったので、こんな子はいらないってみんなが言ったのよ」と聞かされていたのです。だから「自分は生きていてはいけないのに、生きている」と心の深いところで思っていたのでした。そして10歳のときに担任の先生に褒められたとたん、「人から褒められる自分であればいい。できる人、すごい人と思われたら、自分は生きていても良いと思えるのだ」と悟って、それからずっと優等生を演じてきたのです。

 先生のいいつけは決して破らず、興味はなくても勉強して、東京大学に進学しました。自分が何をしたいかわからず、ノイローゼのようになって大学院に通えなくなったのも、当然だったと思います。

 

―― 自分が自分を嫌っている理由に気づいてから、私は自分を好きになり始めました。そして、毎日がとても充実して楽しくなりました。アメリカに行って2年たった頃、シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』に出会いました。そこには精霊、前世、宇宙の仕組み、宇宙人についてまで書かれていたのです。

 私はすぐに「これは本当のことだ。私はすでに全部知っている」と思いました。夫も読んで、「自分を知ることが最も大切だ」という内容に共感していました。

 『アウト・オン・ア・リム』は、神さまがシャーリーに書かせたのだと思います。用意ができてる人ならあっという間に読めて、エネルギーが細胞にしみわたっていく感じがする本です。私も夫も夢中になって、あっという間に読み通しました。

 ふつうの人にはうっかり勧められないと感じましたが、「この人なら」と思った人に紹介すると、とても喜ばれました。

 

―― そんな1984年のある日、私たちはアレキサンダー・エヴェレットのセミナーに参加しました。アレキサンダーは1960年代に自己啓発セミナーの先駆けを作った人です。会場に着くと、ほぼすべての椅子の上にシャーリーの本が乗っていました。

 アレキサンダーは朗々たる声で、宇宙や私たちの使命について、二日間話し続けました。「人は一人ひとり人生の目的をもって生まれてきている。人々はそれを知るべきだ。ぼくが今生生まれてきた目的は、2000年までに、地球を愛と平和の世界にすることだ。そして世界連邦ができたら、ぼくはそこで働く」。

 それを聞いた夫は、

 

「自分の使命も、愛と平和の世界を創ることだ」と考えました。私自身は「自分はそんなたいそうな人間ではない」と思いましたが、夫はその後すぐに、『アウト・オン・ア・リム』を翻訳すると言い始めました。

―― シャーリーは有名な人気女優で、著書は300万部も売れていましたが、調べてみると日本では翻訳されていませんでした。私たちは当時アメリカに住んでいて、出版社に伝手もありませんでしたが、とんとん拍子で地湧社から翻訳出版が決まりました。

 夫と手分けして3か月で翻訳を終えた後も、私は自分の使命がわかりませんでした。けれど、その後アレキサンダーのセミナーを再び受けて、「この世に生まれてきた目的を思い出そう。ぼくたちは自分で決めてきている。ぼくの目的は、2000年までに愛と平和の世界を創ることだ」という呼びかけを聞いたとき、ごく自然に「私もそうだ」と感じたのです。

 愛と平和の世界は、特別な人が創るのではなく、私達一人一人が作るものです。ただその使命に気づくかどうかの違いなのです。それは1985年6月30日のことで、その頃は一日刻みで人生が展開していました。

 

―― シャーリーが三次元と四次元を往復しながら生きているのは、本を書くという特別な使命があるからだと思っていました。けれど私たちも、目に見えない次元に足を踏み入れることになったのです。

 翌日の7月1日、夫が、サンジェルマンという精霊をチャネリングしていたアルーナ・バイヤースを友達から紹介されて、彼女にすぐに会いました。夫が精霊に前世を尋ねると、中国とロシアで革命家として生き、殺されたり牢に入れられたりした、と教えられました。そこで今生では、暴力革命ではなく精神革命を起こそうとしているというのです。

 精霊は他にも、社会や私たちの人生の来るべき変化を語り、夫からそのことを聞いた私は、素直にそれは本当のことだろうと感じました。

 

―― さらに夫は小声で次のように言いました。 「すごい話を聞いた。地球は変わり目にある。地球人の意識が変わらないと、地球は消えてしまうかもしれない。それでは宇宙も困るから、宇宙全体で地球人の意識を変えようと一生懸命働いている。協力してくれる地球人を探しているので、きみも一緒に働かないか?と言われた」

 青天の霹靂でしたが、その時から私も次元を超えたところで生き始めたのです。

 精霊は、「協力してほしいが、つらい道だから断ってもいい」と強制はしませんでした。でも、その呼びかけがとても嬉しくて、私たちは喜んで引き受けることにしました。

 

―― その後、アルーナ・バイヤースは、日本に来てサンジェルマンという精霊のエネルギーを下ろしてくれました。精霊はどこでも行かれますが、そのエネルギーを地に下ろすには人間の体を通す必要があります。その時、私がサンジェルマンのチャネラーとなりました。

 その後、私たちはサンジェルマン、聖フランシスコ、イエスなどをチャネリングして、たくさんのことを学びました。彼らは私たちの家庭教師のような存在でした。30年前の当時、精神世界の本といえば、『シルバー・バーチの霊言集』やエドガー・ケーシーの著作集くらいしかありませんでした。

 チャネリングには、審神者が必要です。チャネラーはしっかりしていないとメッセージを読み違えますし、低いエネルギーを受けてしまいます。メッセージを受け取ったと思っても、本当に信じて良いかどうかわかりません。特に、信頼できる本と矛盾するメッセージが出てきたら、注意しなければなりません。

 最初の頃、チャネリングで「こんなすごい秘密を教えてもらったのは、地球上で私が初めてかもしれない」とウキウキしているとき、シルバー・バーチの霊言が記された本をふと開くと、同じメッセージが書いてあることがよくありました。最初はがっかりしたのですが、そのうち「あなたのチャネリングは正しい」と教えてくれる審神者(さにわ)の役割を、シルバー・バーチが果たしていることに気づきました。

―― それから30年、私はチャネリングや瞑想などを通して、「自分なんてダメだ」という思い込みと向き合いながら、本業の翻訳を続け、その合間にチャネリングや講演会、セミナーなどを行ってきました。

 チャネリングは最初の頃次々と口コミで依頼があり、1000人くらい見てさし上げたでしょうか。私は内容を覚えていないのですが、何年も経ってから「その通りになりました」と報告を受けることもありました。

 

―― チャネリングが始まってすぐ、夫が喘息を発症しました。呼吸困難で病院に担ぎ込まれて⒉週間入院、その後も発作は続いて、いつ死んでしまうかわからない時期が3年間続きました。

 副腎皮質ホルモンを服用し、副作用でムーンフェイスになったとき、精霊から「病院には行くな。薬はのむな」というメッセージを受け取り、治療をやめてしまったからです。

 私たちは、この病気は自分たちを浄化するために二人で取り組んでいるものだということを知っていました。夫は病気をする係、私は看病する係で、二人で学ばなければならないことがあったのです。 夫はとても優秀な人で、自分と同じようにできない人の気持ちがわからないところがありました。けれど、病気でつらい目に遭ったことで、ハートが開いて優しくなりました。

 振り返ると、病気になったおかげで守られたこともあります。慎重な私と違って、夫は「ぼくはチャネリングができるよ」と、勤務先の大蔵省でも話していました。当時は精神世界に理解のある人はいませんでしたから、そのまま大蔵省であれこれ話していたら、精神病院に連れていかれたかもしれません。

 病気になったことで、夫は大蔵省を退官し、自分の世界をまもることができたのでしょう。

 

―― 私たちの仕事は、精神世界を知らない初心者のために、ガイドブックを紹介することでした。まず、シャーリー・マクレーンの一連の本。特に、『アウト・オン・ア・リム』は、世界の人々の意識をスピリチュアリティに開かせる役割をもった本です。

 そして、ロングセラーになった『前世療法』(アンドルー・ワイル著)、『なまけ者のさとり方』(タデウス・ゴラス著)、『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド著)。中でも『聖なる予言』は、日本の男性が精神世界に興味をもつきっかけになりました。

 私たちが20世紀最後の15年間に果たした役割は、サンジェルマンやイエスなど外国の精霊と外国の本の力を借りて、日本の暗く曇っていた空気を浄化することだったのでしょう。

 そして2000年を過ぎた頃から、日本でも優れたスピリチュアリストが活躍をはじめました。龍神や日本の神さま、「あわのうた」などが注目され、アセンションの時期を過ぎてからは、さらに若い純粋なエネルギーが生まれ始めています。

 たくさんの日本人による本が出版され、さらにインターネットでもブログやメルマガ、Facebookなどを通して様々なメッセージを発信する人が増えました。そのために初心者向けの外国の本は、あえて翻訳して紹介する必要は少なくなっています。

 

―― 私たちはここ5、6年、翻訳はほとんどしないで、自分の本を書くことが増えています。私が最初に書いたのは『宇宙で唯一の自分を大切にする方法』という本でした。

 自分で本を書くのは、はじめはとても難しかったです。100人が読んだら100人全部に納得してもらわなくてはと考えると、書き進められなかったのです。でも、「同じような魂の体験をしてきた人たちのために書こう。ひとりの人が共感してくれたら、それだけで価値がある」と思うようになって、やっと書けるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 人生を振り返ると、私にとって大切な学びは、「自分自身を好きになること」だったのだと、あらためて思います。自分を愛していないと心の平和はありませんし、実力を発揮できず、世の中のためにもなりません。

 私はだいぶ自分を受け入れられるようになりましたが、今でもたまに「私なんて」という思いが浮かぶことがあります。

 私の場合、それはすべて夫との比較です。他の人と比べることはないのですが、「夫はすごいのに、私なんて」と思ってしまいます。

 以前、アルーナ・バイヤースに私の前世を聞いたとき、夫が中国とロシアで革命家だったときの「奥さんだった」と言われて、がっかりしたことがあります。たとえ失敗しても夫は何事か成し遂げようとしたのに、自分はただ彼の奥さんだったなんてつまらない、と思いました。でもよく聞いてみると、奥さんも夫のためにお金を集めようと駆けずり回って、大変だったようですが。

 

―― 夫との関係では、ドレスデンでの前世もあります。ドレスデンに旅行したとき、ある夜、私は激しく嫉妬しているという、とても嫌な夢を見ました。その翌日、お城にある美術館を訪れ、大きな階段を上り始めたとたん、私は一瞬のうちに前世を思い出しました。

 私はザクセンの王様の御用学者として寵愛を受け、そのお城で働いていましたが、王様が私に飽きて、外国から新しく学者を呼んだのです。それが前世の夫でした。王様の寵愛も宮廷の注目も夫にうつりましたが、私は解雇されるわけでもない飼い殺しの状態になり、嫉妬で狂いそうになっていたのです。

 記憶がよみがえったとき、私はショックのあまり、ラファエルの聖母子像の前に座り込み、しばらく立ち上がれませんでした。

 

―― 興味深いことに、それから一年後テレビをつけたら、たまたまザクセン王国の特集番組が流れていました。ザクセンの王様は磁器が大好きで、自分の領土でも磁器をつくろうと、マイセンに陶工を呼び寄せました。しかし、しばらくして彼に飽きて、新しい陶工を連れてきたのです。最初の陶工は、私と同じように飼い殺しの状態になり、嫉妬のあまり新しい陶工の邪魔をして、かえって立場を悪くしたそうです。

 私が御用学者として勤めたときと、同じ王様だったのでしょう。私はテレビの前で、茫然としました。

 

―― 2年前、夫にようやくこの話を打ち明けると、夫は「くだらん」と言っただけでした。人生は勝ち負けではないのに、私には「夫には勝てない」という思いが、今もどこかにあります。精神世界には女性ひとりで活躍している方がたくさんいるのに、私は「山川紘矢、亜希子」と並んで紹介されていて、独立していないように感じます。

 そんなもやもやした思いは、私ひとりではないと思います。私は東京大学に合格したとき、「私が入学するために、有能な男子高校生が一人落ちて申し訳ない」と思ったほど、自分を受け入れていませんでした。

 30年前には、講演会で「私は、女である自分は生きていてはいけないと思っていました」と言うと、同世代の7割の女性が泣いていました。ちょうど戦中から終戦直後に生まれた世代で、男尊女卑に苦しんだ方がほとんどだったでしょう。私も泣きながら話していました。

 

―― 当時と比べれば、時代は急速に変わりましたが、それでも「自分は一人前でない」という思いをかかえた女性は、まだ多いのではないでしょうか。

 女性が自分自身を受け入れ、男性も自分の中の女性性に気づいたとき、女性性と男性生のバランスが取れていろいろなことがうまくいくのだと思います。

 女性が活躍する社会を作るには時間がかかりますが、魂として「自分はすばらしい」と受け入れることは、制度の変革を待たずに一人ひとりが始められます。その点、若い世代は女の子の方が男の子より強い感じで、頼もしいです。

 

―― 私と夫は、今年76と77歳になります。今年は天皇が退位されますが、私たちは平成天皇と同じ世代に当たります。

 私たちは美智子さんの弟さんと東大で同じ学年でしたし、父親同士も知り合いで、ニュースで流れる前からご成婚を知っていました。ご成婚のとき、私は皇居のそばの一番町に住んでいたので、テレビニュースで馬車が近づくのを知り、弟と見学に行きました。馬車が通るとき、みんなで万歳したのを覚えています。

 マレーシアの大使館で働いていた時には、夫はマレーシアを訪れた皇太子ご夫妻に随行し、私もいろいろお手伝いしました。それ以前の大学時代にはコンサート会場で、美智子さんや華子さんとぶつかりそうになったこともあります。警備もゆるやかなよい時代でした。天皇に即位されてからは、大使館にいたおかげでお茶会に呼んでいただき、親しくお話ししたこともあります。最近では皇居のご奉仕で両陛下にお会いしました。

 あれこれ振り返ると、両陛下のご退位は寂しく、時代の移り変わりを感じますし、私たちもそろそろゆっくりしてもいいかな、という気持ちになります。

 夫は、このところ、生まれ育った静岡の町を訪れる機会が増えています。子ども時代を思い出す、センチメンタルジャーニーです。私たち二人にとって、生まれ変わりのようなタイミングかもしれません。

 

―― 精神世界では、2020年に向かうこの2年くらいを、意識の変革にとって重要な時期とする説もあります。

 アレキサンダーが「地球を愛と平和の世界に」というビジョンを掲げた2000年には明らかな変化が起きませんでしたが、2012年のアセンションと呼ばれた年には、エネルギーが大きく変わっています。

 『聖なる予言』の著者、ジェームズ・レッドフィールドは、『第十一の予言』という本の中で、アセンションは2011年春に始まる、と記しています。そして2011年に起きた311は人々の意識を変え、生き方を変える大きなきっかけになりました。

 

―― 2020年がどうなるのかわかりませんし、まだ道半ばという思いもあります。それでも、この5年くらい、自分たちの30年の仕事が実を結び始めているような手応えを感じます。精神世界を理解する人はかなり増えています。そして、まだ少数とは言え、新しい生き方を始めた若い人たちが出現しています。

 彼らはスピード感があって、私たちが6か月かけて計画することを、2週間先には実現させて、ある程度の成果を出したりします。私たちは組織に属さない一匹狼であることを心掛けてきましたが、彼らは気負うことなく独立していて、必要に応じてネットワークとしてつながり、プロジェクトが終わればまた自分の立ち位置に戻ることができます。

 彼らは私たちとは違う方法で、人々のハートに入っていくことを知っています。30代の彼らによると、20代、10代は、もっともっと凄いのだそうです。人間自体が変わり始めているのでしょう。

―― 精神世界も一枚岩ではなく、いろいろな分派があります。いろいろなことを考えている人たちがいて、そこから何かが生まれてくるのでしょう。私たちは動かされているのであって、最終的には、すべては神さまがおこなっていることなのだと思います。

 私自身がこれからどのように動かされていくのか、よくわかりませんが、夫は「流れに乗るというより、流されていけばいいよ」と言います。

 私はもともと、自分から何をするという意識はほとんどなく、あれこれ計画を立てることもありません。以前は「愛と平和の世界を創りたい」と思っていましたが、最近はそのこだわりもなくなりました。

 

―― 地球には原爆や原発があって、一歩まちがえれば世界が滅びるかもしれないという意味では危機的ですが、地球は低い波動から高い波動まで、さまざまなところで肉体をもって生きることができるという、珍しい星でもあります。

 今この瞬間がまさに完璧だということを、私は感じています。でも、だから何もしないというのではなくて、一人ひとりの心に愛と平和をもたらしたいと思っています。

 心に平和があるときは、すでにパラレルワールドにいるようなものです。そのためにはさまざまな方策があって、世界を旅して仲間をつないでいく人もいれば、私のように自分自身を見つめ続ける人もいます。

 私にとっていちばん大切なことは、日々の生活を一生懸命に生きることです。三次元の意識に縛られず、広い意識をもち、「自分は宇宙的な存在だ」という気づきから生きることが、大切だと思います。

 

 

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