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柳澤眞悟阿闍梨のご法話

柳澤眞悟阿闍梨のご法話
 金峯山寺在籍時は、密教の供養法や声明の実践研鑽を中心に活動しておりましたが、その経験を生かして、なおいっそう悟りの境地を求め、衆生済度にも力をいれたいと、今こうして自坊を持つことが出来、本尊蔵王権現、弁財天、阿弥陀如来などの供養法を中心に一日に三度の勤行を行っておりますが、今日のようにたくさんの方が見えて、自分も他人も共に向上を願っての修験道採灯壇護摩を焚くのはとてもありがたいことです。
 行藏院では、本尊である蔵王権現をはじめ、大日如来、三面大黒天、阿弥陀如来、千手観音など、色々な仏様を祀っております。密教の供養法の基本として重要な事は、事供(物質としての食物の供養)と理供(印や真言での供養)の両面が大切です。第四次元と言いましょうか、次元の異なったところで仏様に召し上がっていただき、お祈りを聞いてもらえる様な気がします。仏様からの返事は聞こえませんが、何らかの良い形でその返答は必ず帰って来るものであります。
 護摩供で、火炎の中に仏様をお呼びし、火炎の中に種々の供物(穀物や油)などを投入し焼くことにより仏様に召し上がっていただくわけです。また「乳木」と云い、108本の薪を入れる場面がありますが、人間の悪いもの、すなわち108の数があるといわれている煩悩を護摩の火により燃やしてしまうわけです。この煩悩を燃やして消滅させれば人間は自然に災いから逃れ幸福になれるのであります。
 「覚醒」という言葉がありますが、この意味は目覚めることであり、仏教的には悟りを開くことですが、悟りに到らなくとも、何らかの形で感覚的にでも活性化することも重要な意味があります。それがやがては悟りに到る道筋だからであります。この道場はそういう意味でもそれを行うのにふさわしい場所となっており、仏様と一体になれる空間で有り、ここで思う存分仏様と対話出来る毎日がありがたい。おかげさまでご縁をいただき、本当にありがたく思っております。
 ここからが私の新たな修験道の始まりと思っております。断食会とか山上ヶ岳までの登拝、奥駈け修行などの様々な修行の活動ができたらと思います。また、声明の講習会や仏教教義の勉強会など、有縁の皆様方も共に修行する場所として利用していただければ良いでしょう。
 私の思いとしては是非護摩供に参拝をしていただいて、共に修行していただきたい。お願いごとばかりではなく、共に素晴らしい感覚を養い災いを除き、一時限りでなく本来の開運向上を目指して行ける、そのような場所になったらよいなと思います。

 

++++金峯山修験寺「行蔵院」で三世救済の行道に入られています。昨年護摩堂を普請され、1月14日、その護摩堂開闢の法要に参列してまいりました。 
 (会員の藤田桂子さんは、7年ほど前に当会のセミナーで柳澤阿闍梨の法力とお人柄を知り、仏道に帰依し阿闍梨の元で還俗され、そのご縁で護摩堂を寄進されました。阿闍梨は感謝とともに、密教修行を専念する旨を語りました。) 

金峰山では密教の供養法と声明の詠法をただひたすら修行していました。副住職になってからの仕事はお寺のマネジメントばかりでしたが、今こうして在野に下り、密教の供養法と修行に専念しています。昼に夜に、日に三回供養をやっていますが、自宅の隣で護摩が焚けるようになり、一晩中拝んでいても誰からも何も言われません。一人で密教の供養法を永遠とやるのはとても楽しいのですが、今日のようにたくさんの方が見えて、護摩を焚くのはとてもありがたいことです。 

 行蔵院では、蔵王権現をはじめ、脳天大神、金輪佛頂、大日如来、大黒天など、色々な仏様を祀っております。自分一人で一生懸命修行して悟りを開くのも大事ですが、密教の基本としての重要な供養があります。各々の尊像に魂を入れ、開眼させるわけです。一生懸命拝んだら、尊像に仏様が宿り、今度はその仏様がこちらに力を与えてくれます。 
実際には、蔵王権現様をお祀りしたら、食べ物を捧げる事供(じく)というのをやります。お酒も卵もお供えしますが、仏様に召し上がっていただくわけです。真言をあげ、印を結んで供養をしていくのですが、本当に召し上がっていただいて、お祈りを聞いてもらえているような気がします。仏様から返事は聞こえてきませんが、聞いていただいている感じがするのです。 
 護摩では、まず108本の薪を入れて火を燃やします。一本一本が一つの煩悩で、その煩悩を焼き、悪いものを燃やしてしまうわけです。 
 密教を深く修行してまいりますと、護摩の中に仏様を招き入れた時に仏様が来てくださるのがわかります。仏様が炎の中に入ってこられ、炎にその形が現れます。これはちゃんと修行してできるもので、相当の訓練がないと仏様は来てくださらない。密教を呼吸する感覚がないとできないものです。そういう意味でもこの護摩堂はふさわしい場となっています。ここは自分と一体になる空間であり、ここで思う存分供養ができるので、毎日がありがたい。おかげさまでご縁をいただき、本当にありがたく思っています。 
 ここからが私の新たな修験道の始まりだと思っています。断食とか山上ヶ岳まで歩くとか、2泊3日の奥掛けとか、様々な修行の活動ができたらと思います。また、声明の講習会や仏教の勉強など、みなさんと一緒に修行する場所として利用していただければ良いでしょう。 
 私の思いとしては是非護摩に参拝をしていただいて、一緒に修行していただきたい。本当の目的はお願いごとばかりではなく、一緒に向上していくことであり、そのような場所になったら良いなと思います。 

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