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棚橋俊夫さんのお話

「棚橋俊夫さんのお料理を楽しむ会」が開催され、目にも口にも美味しいお料理と、意義深いお話を堪能しました。お話の一部をご紹介します。(2016年4月9、10日 湯河原リトリートご縁の杜にて)

 

 

棚橋俊夫さん:精進料理人。27歳で滋賀県の禅寺月心寺の村瀬明道尼に弟子入り、精進料理の奥深さを知る。印可を授かり、東京表参道に「月心居」を15年間開業。閉店後、京都造形芸術大学で「食藝プログラム」を三年間教鞭。さらに、是食キュリナリーインスティテュートを主宰し、精進料理を通して野菜の素晴らしさや心身共に豊かな生活を提案するため、国内外で意欲的な活動を続けている。NHK朝の連続テレビ小説『ほんまもん』の料理監修としても知られる。著書に「SHOJIN野菜は天才」文化出版局、「野菜の力 精進の時代」河出書房新社。http://zecoow.com

 

 

 

 

 

 

 

 

―― ぼくは「精進料理」の新しい捉え方を広めていきたいと考えています。念ながら、いまは精進料理をいただく機会がほとんどありません。四国八十八箇 •所でさえ、精進料理をもてなすお寺はひとつもないそうです。かたや、宿坊の中には、豪華な旅館と見紛うような精進料理を出すところもあり、本来の姿からかけ離れています。

 一昨年、世界遺産に和食が登録されるとき、和食とは「「江戸時代以前の伝統的な食の形」であると定義されました。和食の世界遺産登録に尽力したのは、京都の会席料理の関係者です。会席料理の歴史は江戸時代に形作られましたが、さらに辿ると茶懐石とな り、その原型は寺院による精進料理に至ります。

  日本の文化の成り立ちには、寺が大きな役割を果たしてきました。当時、全国から寺 に集まった優秀な人材が中国に留学し、最先端の文化を学び取ってきたのです。 精進料理もルーツをたどれば、平安初期に弘法大師が唐から持ち帰った料理を日 本風にアレンジしたものと思われます。清少納言は随筆で、「「精進物(しょうじもの)いとあしきもの」=おいしくない、と嘆いています。平安時代は、煮炊きの技法が確立され ていなかったので、美味でなかったのでしょう。

  料理法が洗練されたのは、鎌倉仏教の僧侶が中国から高度な技術をもち帰り、 鍋釡が発達してからです。正に料理技術革新と言えます。このとき活躍したのが道元禅師で、精進料理を積極的に修行に取り入れ体系化致しました。道元の記した『典座教訓』と『赴粥飯法』は、食事をつくる人と食べる人に対する教えで、調理法はもとより箸のもち方、器の扱い方、音を立てずに食べることなどが事細かに記され、現在の和食の礼儀作法の原型になっています。

 

―― みなさんは応量器で食事したことがありますか。応量器はきれいなフォルムの六つ のお椀が、入れ子のように隙間なくぴっちり重なっている、美しくて合理的な器です。マ トリョーシカのように開けていくと、一組の膳組になります。 さらに応量器には、ひとつにくるむ布の包み方、開け方からすべてに作法があります。 食事をいただいた後は、棒の先にガーゼをつけたような道具でお椀をきれいにふ き取ります。これらの作法は、お茶のお点前の原型にもなりました。食の作法、食の 精神は、すべてお寺の精進料理から始まったのです。残念ながら、今のお寺では見る影もありません。

 日本の食文化におけるお膳は、世界に誇れる固有の型です。「膳」の訓読みは「かしわで」で、柏の葉っぱを意味しました。つまり、柏の葉っぱがお膳のルーツなのです。伊勢神宮のお供えは、今でこそかわらけ(素焼きの陶器)に載せていますが、昔はアカメガシワの葉を用いていました。お膳は結界であり、その上に載るものは最もありがたく、神々しいものとされます。お膳の思想から学ぶことはたくさんあります。みなさんには、お膳をそろえて心豊かに召し上がってほしいと思います。

 禅宗には、僧侶が食事の前に唱える「五観の偈」というお経があります。「計功多少 量彼来処(目の前の料理がどこから来て、どれほど手間がかかったか思いめぐらそう) 忖己徳行 全缺應供(この食事をいただくにふさわしい善行をしてきたか、自分の行動を振り返ろう) 防心離過 貪等為宗(貪瞋癡 [貪欲・怒り・無知] から、遠ざかろう) 正事良薬 為療形枯 (食事は健康を作り上げる良薬であることを心していただきます) 為成道業 今受此食(仏道を歩むうえで、この食事を感謝していただきます)」この五つには「食べること」のすべてが集約されており、世界でも類を見ません。

 

―― 「和食とは?」を一言で表すなら、「水」の料理といえます。日本には各地に清らかな湧水、、井戸水があります。たとえば、京都の町の下には琵琶湖に匹敵する水がめがあり、20メートルほど掘れば水が湧いてきます。京都の豆腐屋や魚屋は、この 豊かな水を活用しています。

  しかも、日本の水は世界でも稀にみる軟水で、料理に向いています。水に恵ま れていたからこそ、和食は発達しました。よい水でなくては、よい出汁はとれま せん。ヨーロッパのようにシャワーを浴びると髪がカサカサするほどの硬水では、 日本料理はつくれないのです。日本の豆腐は「水の豆腐」ですが、硬水である沖 縄の豆腐は、「豆の豆腐」です。       

 和食は、よい水を心地よく飲むためのものと言っても過言ではありません。 日本酒、清酒は「水のよう」というのが最高の褒め言葉です。清酒には、本来「フルー ティ」というワインの褒め言葉は通用しません。

  なお、和食が「水」の料理であるのに対して、中華料理や西洋料理は「油」の 料理です。これは、よい水が身近にないからです。中国では、料理に適さない水 をつかって調理する工夫として「蒸す」技法が発達しました。汚れた水でも、水 蒸気にすれば問題ないからです。日本にはその問題がなかったので、和食は「茹 でる」ことが主になりました。

  和食の原型は「一汁一菜」であり、これが世界一の最小にして最高の料理です。アメリ カのマクガバン代議士は、ベトナム戦争後、病人が急増し、医療費を逼迫したので世界中 を調べ、最も理想的な食事を探しました。結果的に、江戸時代後期の和食であるとするレ ポートをまとめています(マクガバンレポート)。

 弘法大師が、中国で「素菜」と呼ばれる野菜だけの料理を日本に取り入れ、「精進料 理」と翻訳したと思います。精進は、布施、持戒、忍辱、禅定、智慧にならぶ、仏教の悟りを開くための六つの修行、「六波羅蜜」のひとつです。、「心身を清め、工夫、努力し

ながら前向きに生きていく」という意味のすばらしい言葉です。私は「精進」という言葉 を世界に知らせ、「ZEN」のように、横文字「SHOJIN」で通用するくらい、その素晴ら

しさを広めたいと願っています。

 

―― 精進料理は、ただひたすら野菜と向きあいますが、ベジタリアンのように肉や魚を やみくもに否定するような心の狭いものではありません。五戒(仏教における基本的な五 つの戒)の筆頭は「不殺生戒」(殺してはならない)に起因しますが、お釈迦さまはベジ タリアンでなかったという説もあります。托鉢行では布施されたものはすべていただくの で、中には肉や魚もあったでしょう。事実、最後に口にした食物は腐った豚肉とも言われ ています。不殺生戒は、肉食の禁止というより「命を粗末にしてはいけない」という教え だと思います。

  では、精進料理は、なぜ野菜と向きあうのでしょうか。そのヒントは、お釈迦さまの生 涯に、樹木が深く関係したことにあると信じます。

  お釈迦さまは無憂樹の下で生まれ、菩提樹の下で悟り、沙羅双樹の下で亡くな りました。どんな苦を受けても相手には喜びを与えるというお釈迦さまの教えは、 とても植物的だといえます。 お釈迦さまは植物に囲まれた中で、修行していました。樹木は何百年も生きて、 人類、生き物すべてを見守り、それらの歴史を知っています。樹木に、ものいう口がある なら、何を語るでしょうか。そして、奇跡的に、その声を聞くことができたのがお釈迦さ まであり、それを翻訳したのが仏教の教えで、そこに精進の思想があるのでは、とぼくは 思うのです。

 樹木をはじめ植物の営みは、日光、水、空気という無機物と大地から、動物には欠かせな い栄養豊富な有機物をつくりあげます。それは決して人間にはできない奇跡の連鎖と言え ます。しかも植物はその最高の恵み(食物、空気、癒し、、)を、見返りを要求することな く、他の生きものに分け与え続けます。我々は植物の恩恵なしでは、いっときたりとも生 きることができないという真実を忘れていませんか。

 植物が生きる為の基礎をつくってくれるおかげで人は生かされているのであり、このこ とを無視してより多くを求めるのは、人間の欲や傲慢につながっていきます。敢えて血を 流してまで、肉魚を求めなくても、植物で、足るを知るのです。肉魚を必要以上に求める 欲望は、正に麻薬中毒と同じ行為であり、精神状態であります。平和的な食の世界建立の ためにも、植物から学ぶことはたくさんあり、それをもっと思い知り、ひたすら感謝しな がら、実践することが精進の哲学であります。

 

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