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秋山佳胤さんの講演録

不食(波動食)の弁護士・医学博士、認定ホメオパス、シンギング・リン協会理事、ライアー奏者として、多方面にわたってご活躍中の秋山佳胤(あきやま・よしたね)さんに、ご講演いただきました。テーマは「今、光と闇が統合された地球の黄金時代を迎えて ~かつて、なぜ地上に悪がはびこり、広まったか~」。シンギング・リンやライアーの演奏もあり、希望の光を感じるひとときとなりました。お話の一部をご紹介します。(2017年12月14日、東京ウィメンズプラザ)

―― (シンギング・リンとライアーの演奏) 私たちがここに存在していることは、とてもありがたいことです。肉体をもつことができたのは、親がいたからこそ。しかも、親にはその親、さらにその親がいて、10代で1024人といわれる縦のつながりの中に、私たちはいます。そして、人と人がつながり、横のご縁が広がっていることも、ありがたいことです。
 また、私たちを支えているのは、人間だけではありません。微生物、動植物、万物の存在と、私たちをその上に生かしてくれる地球。その地球も宇宙という支えがあってこそ、私たちはここに存在することができます。すべてに対する感謝を音に込めて、シンギング・リンを響かせ、音開きとさせていただきました。
 体験いただいたように、シンギング・リンの音は、聴いているだけで深い瞑想状態に誘われます。リンの音は長く響くだけでなく、その振動は耳で聞こえなくなっても続いていて、全身で感じられます。リンの振動は、肉体だけでなく心にも響きます。同じく、光も目だけで見ているのではありません。「光の画家」として知られるChieさんの作品の前に立つと、涙があふれるという全盲の方もいます。
 絵画には色がありますが、色は光の周波数によって生まれます。高い周波数をもつ光が紫で、低い周波数の光は赤、紫より高い周波数をもつ光は紫外線で、赤より低い周波数の光は赤外線です。バイブレーションという意味では、色は目だけで捉えるものではありません。光は耳でも聞こえるし、音は目で認識することもできます。近年、光がデータ通信に使われているように、すべてのものがつながってきています。

―― シンギング・リンは、漆を焼きつけているため黒い色をしています。漆はもともと樹液なので、お椀やお箸などの木材にはなじみやすいのですが、金属に塗るには特殊な技法が必要です。金属製の仏像は錆び防止のため漆を塗られることがありますが、シンギング・リンにはその技法が応用されているそうです。
 もとの金属は銅を主原料とした合金に、クリスタルが入っています。似たような楽器にクリスタルボウルがありますが、クリスタルボウルは割れやすく、シンギング・リンは1600個ほど生産されていて、まだ割れたものはないそうです。
 シンギング・リンを一つ鳴らすと、そばに置いてあるリンも共鳴し、ともに響き合う調和の世界が生まれます。シンギング・リンを開発した和真音さんは、宇宙から設計図を下ろされたといいます。鋳造には厳密な設計図が要求され、試行錯誤の末に創られました。
 シンギング・リンの響きについては、東京工業大学と慶応大学で研究が継続されています。打音をコンピュータで波形解析すると、さまざまな音が混じっています。通常の高さの音は「6の音」と呼ばれ、水を張って鳴らすと波の形が六角形になります。低めの音は「4の音」と呼ばれ、オーストラリア先住民の楽器ディジュリドゥと同じ響きだそうです。
 私は、シンギング・リンの響きは水のバイブレーションに近いと感じます。水の結晶は六角形をしていますね。人体は固体の性質をもちますが、その成分の5,60パーセントは水分という意味では、液体の要素もあります。シンギング・リンの「6の音」は、人体に含まれる水分のバイブレーションを調え、健康をもたらすように思います。

―― 私はオーストラリアの楽器店でディジュリドゥを見つけて一目ぼれし、購入しました。ディジュリドゥは世界最古の楽器ともいわれ、ユーカリの木の内部をシロアリが食べて空洞になったもので、いわば大自然が作った楽器です。
 先住民アボリジニの伝統では、男の子は15歳になると森の中に一人で入り、木々と対話して、シロアリに食べられて中が空洞になった木を探し当てなければなりません。そんな木を見つけて、自分でディジュリドゥに仕立て、音を出すことができたら、一人前のおとなと認められるのです。
 音を鳴らすというのは、とても大事なことです。音はパワフルで、生みだす力をもっています。宇宙の創造の大本にも、最初に音がありました。これは耳で聞く音という意味ではなく、バイブレーションという意味です。はじめにバイブレーションがあって、そこから物質が生じてきたのです。
 「自分らしい音をしっかり出せるようになったら一人前」というアボリジニの世界観は、宇宙の創造の仕組みと一致しています。アボリジニはディジュリドゥを大切にして、祈りと共に吹いてきました。ディジュリドゥの音は大地に響いていく音であり、その「4の音」はグラウンディングに適しています。

―― アボリジニなどの先住民は、大地、つまり地球に向かって祈り、地球と共に生きていますが、現代の日本人は天に向けて祈る役割があるそうで、それぞれの役割があります。ただし、直立二足歩行できるのは人類だけであり、「天と地をつなぐ光の柱になること」は、人として共通する役割です。
 肉体は大地からできていて、魂は宇宙からやってきます。シンギング・リンに「大地」「宇宙」という二種類があるのは、そのことを意味しています。人は亡くなると、体は土に還り、魂は宇宙に還ります。「神さまが泥人形を作り、そこに息吹を吹き込んで人間が生まれた」というギリシア神話がありますが、泥が肉体を、息吹がスピリットを意味します。
 芸術家は直感がひらめくと「インスピレーションを得た」といいますが、その語源は「スピラーレ」=呼吸という意味です。私たちは呼吸をするたびに、天のエネルギーをやりとりしているのです。シンギング・リンの音を聞くとリラックスして、あくびが出やすくなりますが、あくびや深呼吸は天の気をとり入れるよい方法です。

―― 私は瞑想を、「自分の意識の一端を内側に向ける意識状態」と捉えています。起きている間は、道を歩くときに車に気を付けるように、私たちは意識を外に向けていることが多いです。しかし、外ばかり見ていると、内を見ることが疎かになります。
 外にばかり気が向いていると、気が散ってしまう、つまり気が枯れてしまう=気枯れ=ケガレという状態になります。神道ではケガレを祓うことを教え、祓う=「流れを作る」ために、ある種の動作や言霊を用います。言霊とは言葉のバイブレーションで、その波動を放つことによって空間のエネルギー場を調えることができます。
 先ほどライアーの響きも聴いていただきましたが、和音は音と音が調和しているので心地よく聞こえます。音と音がぶつかる状態を不協和音と呼び、不快に感じます。音には生みだす力があり、ぶつかり合うと空間は粗雑になりますが、音と音が調和していると、その場は多重に調っていきます。
 一人ひとりが意識をもち、日々どのような想念を放っているかは、音を奏でるのと同じです。波動を放つと、まずエネルギー場が形成され、それが鋳型となって、やがて物質化していきます。シンギング・リンを鳴らして水の結晶写真を撮ると、リンの響きのバイブレーションによってエネルギー場ができ、それを鋳型として水が結晶化するので、エネルギー場の形を結晶として見ることができます。

―― 私の経験では、愛と感謝の言霊はきわめて強いです。複雑に思える問題でも、難しいことは考えず、ただ「ありがとう、愛している」と言い続けているだけで、解きほぐれていきます。
 たとえば、電気製品に電気が入ったり入らなくなったりすることがありますが、それは導線の中で電子のやりとりができないときです。電子の並びが乱れると電気が通らないのですが、何らかのきっかけで電子がもとの位置に整列すると、再び電流が流れます。
 「ありがとう、愛している」という言霊は、電子の並びを整えて、断線を直すような働きがあるようです。声に出せないときは、心の中で唱えるだけでもかまいません。愛と感謝の波動は、エネルギー場に強い振動を放って、奇跡を起こしていきます。
 ハワイには「ごめんなさい、ゆるしてください、ありがとう、愛しています」という四つの言葉を唱える、ホ・オポノポノという古代の智恵が伝承されています。
そのような言霊が現実に影響を及ぼす仕組みは、これから科学的に明らかにされていくでしょう。

―― 先日、歌手でサウンドセラピストのAikaさんとお話しする機会がありました。Aikaさんは以前、甲状腺がんが見つかり、お医者さんに「手術しなければならないが、手術したら歌えなくなるかもしれない」と宣告されました。Aikaさんは手術を拒否し、薬も捨てて、「ありがとう、愛している」という言霊を放ち続け、歌い続けました。すると、甲状腺がんはきれいに消えて、喉の腫れも治まったそうです。
 私は10年ほど前から健康相談をお受けする中で、病気は物質化された「結果の世界」であり、その前には波動における「原因の世界」があることに気づきました。先に波動があって、それから物質化が起きるのです。腫瘍なら、まずエネルギー場に腫瘍の波動が形成されて、そこに肉体の細胞が流し込まれることで、実際の腫瘍ができるのです。
 歌うことをミッションとしているAikaさんが喉に病気を発症したというのは、それに先立って、エネルギー場に影響を及ぼすような、何か大変な出来事があったはずだと思いました。「病気をされる前に何かありましたか」と尋ねると、「阪神大震災で被災しました。家が倒壊して娘と生き埋めになりかけ、恐怖の体験をしました」ということでした。
 さらに、Aikaさんの娘さんが大阪教育大学付属池田小学校に通っていたとき、小学生8人が殺害される事件があり、担任の先生のお孫さんが被害に遭いました。
事件の10日ほど前から、Aikaさんは嫌なエネルギーを感じ、なぜか胸騒ぎがして、友人の音楽家にレクイエム(鎮魂歌)の作曲を依頼していたそうです。

―― 私たちは、時間が一定に流れている中で生きていると思っていますが、時間と空間には相互作用があり、空間のエネルギー場の振動数が変わると、時間の進み方も変わります。次元が変わると、時間の流れも変わるのです。
 楽しいときは心が軽く、時間があっという間に過ぎるのに対して、悩んでいるときは心が重く、時間がなかなか進まないように感じるものです。これは、意識状態の違いによってエネルギー場が変わり、時間の進み方も実際に変わるためです。
 私の事務所も時間が飛ぶようなところがあり、先日も2時に健康相談を始めたところ、気づいたら夜の10時を過ぎていましたが、相談にいらした方は1時間くらいにしか感じなかったそうです。時間は、速くなることも遅くなることも、逆戻りすることも飛び越えることもあるのです。
 光の画家Chieさんは、時間と空間を飛び越えているとしか思えない出来事が続き、時空間の認識がおかしくなったのではと心配されて、CTとMRIまで撮りましたが、脳に異常はなかったそうです。地球の周波数が上がって、多次元の存在をリアルな生活の中で感じるようになると、時空間を飛び越えることは頻繁に起きるようになります。

―― ところで、今日、私は「なぜ地上に悪がはびこり、広まったか」というテーマをいただいています。このような会に参加なさる皆さんは、物質主義の文明や豊かさだけでは限界があることに気づき、瞑想を通して五感では捉えきれない波動に近づこうとされています。その意味では、すでに光を追求し、光に出合っているわけですから、人生のいちばん苦しい闇の時期は通りすぎていることでしょう。
 光の世界、つまり愛、慈悲、優しさ、親切さなどを理解しつつある私たちですが、ではなぜ、私たちはこれまで地上で傷つけあわなくてはならなかったのでしょうか。人が人を傷つけたり、動植物や地球を傷つけたり、自分の体や心を傷つけたりしたことがあったのは、なぜでしょうか。なぜ「悪」があるのでしょうか。
もし神が慈愛あふれる存在なら、なぜそんな体験を私たちにさせる必要があったのでしょうか。
 光の世界になじみ、神を知るほど、神がこの苦しい状況を解決しないのはなぜか、疑問に思うことがあったかもしれません。しかしやがて、私たちはそれも神の愛の計らいだったと気づくことになるでしょう。

―― 先日、自然環境活動家の山田征さんとお会いしました。来年80歳になる女性で、ひとりNGOとして40年前から原発反対を貫き、被爆者や貧困者の救済に取りくみ、石垣島の白保に空港建設の話が持ち上がって世界屈指の珊瑚が破壊されそうになったとき、それを阻止したパワフルな方です。反原発運動で有名な広瀬さんや田中さんは、かつて山田さんの勉強会に来ていたそうです。
 私の父は原発問題を学ぶ高木学校を手伝っていて、福島原発爆発事故が起きると「自分の生きているうちにこんな重大事故があるとは」とショックを受けていが、山田さんは「いつこうなってもおかしくないという覚悟がありました」とおっしゃり、私はその迫力に圧倒されました。
 東日本大震災後、政府は太陽光パネルを推進して電気料金に2円上乗せしましたが、山田さんは震災前から太陽光パネルの問題に取り組んでいて、それがエコでないことを熟知していました。太陽光パネルは劣化しやすく交換が必要なので、利権にとっては儲けになります。しかし、廃棄物となったパネルは土に還るわけもなく、しかも廃棄処理には費用がかかるので、野原に投棄されるパネルもあります。
 山田さんが太陽光パネルの推進に反対し、電気料金の2円上乗せを拒むと、ご自宅の電気は止められてしまいました。以来6年、山田さんは東京で電気なしで暮らしています。

―― 山田さんは健康相談ということで私のもとにいらしたのですが、話の流れで、私はこんなことを語りました。
 ・・・地球は、神が創った一つの作品だ。創られたばかりの地球では、人々は愛そのもので、争いはいっさいなく、喜びのうちに笑顔で助け合って暮らしていた。人は本能と共に、自然と共生して平和に暮らしていた。美しい海と山があり、多種多彩なものが調和し、微生物も動植物も共生している。食物連鎖はあるが、それは争ったり傷つけあったりすることではなく、命をつなぐ循環としての連鎖だった。
 神は宇宙空間から地球を眺め、大いに満足して、大天使ルシエルとミカエルに感想を聞いた。左側にいるミカエルに「どう思うか」と尋ねると、「とても美しいです。海は青く山は緑で、その中には多種多彩な生きもの、様々な色彩の花々、小さい生きものから大きな生きものまで調和の中にあって、とてもすばらしい」という答えが返ってきた。
 神は喜び、右側にいるルシエルに「そなたはどう思うか」と尋ねると、ルシエルは「ミカエルの意見に賛成です。すべてが調和していて、まさに総合芸術です。でも一つ気づいたことがあります。地球が調和して見えるのは、みんなあなたの意思に沿って存在し、表現しているからでしょう。見方を変えると、すべてがあなたの操り人形で、操り人形どうしの芝居は退屈です」と言った。
 神はなるほどと思い、ミカエルがいないときにルシエルだけ呼んで、こう命じた。「先ほどのきみの話は本質を捉えている。退屈な芸術作品はよろしくない。どうしたらおもしろくできるのか考えて、私は壮大なアイディアを思いついた。
ただ、それを実現するには私一人では無理だ。このアイディアはきみがいちばん理解しているから、ある役目をお願いしたい。このことはミカエルにも秘密で私とあなただけの話にしてほしい」・・・

―― この話をしたとき、山田さんは特にコメントしませんでしたが、後日、『光と影の優しい歌』という二枚組のCDが送られてきました。「2枚目の2曲目に、私が朗読した詩があります」というお手紙が添えられ、私はその朗読を聞いて心の底から驚きました。
 詩にはヨルダン川の情景が描かれていますが、私はヨルダン川にこの肉体を運び、沐浴しています。私は2012年と13年、イスラエルとパレスチナを訪れて、イエスが生まれたベツレヘム、赤ちゃんのイエスが寝かされていた場所、イエスがヨハネから洗礼を受けたヨルダン川のほとり、十字架を背負って歩いた道、処刑されたゴルゴダの丘を巡礼していました。山田さんの朗読を聴くと、そのときの情景がありありと浮かび、他人事ではないように感じました。

―― じつは、山田さんには娘さんが四人いますが、娘さんたちは、40年前から10年間くらい、天使たちと話していたそうです。最初は、太陽の光のような存在が現れ、その次に、より白っぽい光の存在が二人現れて、聖書の知識もない娘さんたちに「ミカエル」「ガブリエル」と名乗ったそうです。ミカエルとガブリエルは大天使であり、より大元の光源に近いので、白っぽい色として見えたのでしょう。
 娘さんは山田さんがそういう話が嫌いなのを知っていたので、天使と話していることを秘密にしていました。そんなあるとき、山田さんは尼さんと一泊二日の旅をしました。尼さんは見えない世界がわかる人で、山田さんはさまざまな現象を目の当たりにして、不思議な世界も信じざるをえない、と思いました。すると帰宅してすぐ、娘さんたちから「お母さんには内緒にしていたけれど、私たちは天使と話していたの。天使たちがもう言ってもいいよというから、お母さんに話すね」と打ち明けられたのです。
 娘さんの話に耳を傾けると、納得できるかはともかく、とても面白かったそうです。ところが、娘さんはやがて「恋をすると天使との付き合いはお休みになるって、天使が言っていたよ」と言い、その通りになりました。山田さんが残念に思っていると、娘さんに「今度はお母さんとお話が始まるって」と言われました。

―― そして1988年、50歳の朝、山田さんはとても不思議な夢を見ました。 夢の中で、目の前に何枚ものカードが並べられ、「そこに手を置きなさい」いう女性の美しい声がしました。その通りにすると、電撃のようなショックが走り、「手をご覧なさい」と言われて見ると、指先から肩にかけて無数の筋が入っていたのです。するとまた、鈴を振るような美しい声がしました。「これから私たちが伝えることを、一つ余さず書きとめてください。すると、物事が正しく伝わってまいりますから」
 目が覚めたとき、山田さんはクリスチャンでもないのに、なぜか声の主はマリアさまだと思ったそうです。その日、山田さんは白保空港建設問題に関して、国際会議に提出する書類のため、翻訳家の山川紘矢、亜希子夫妻を訪れました。夢の話をすると、「自動書記が始まるのでしょう」とアドバイスされました。
 それから山田さんの自動書記が始まり、ノートは40冊にもなりました。1冊目はマリアさま、イエスさま、聖フランチェスコ、そして2冊目後半から、ルシエルという存在が語り始めました。名前の最後につく「エル」は大天使の称号で、ミカエル、ガブリエル、ラファエルがよく知られています。ルシエルの「ルシ」は「光」という意味なので、ルシエルとは「光の大天使」という名になります。
 なお、ルシエルのエルをアールに変えると、ルシファーという名前になり、闇の帝国を司るベルゼブル、イエスと対峙する悪魔サタンを指します。山田さんに語りかけたルシエルは、じつはルシファーでもありました。

―― 山田さんの娘さんたちによると、ミカエルやガブリエルは目を合わせて話してくれましたが、ルシエルが初めて来たときは、その姿は美しく光り輝いていたけれど、悲しみに満ちた目をして通り過ぎるだけで、話すことはできなかったそうです。
 娘さんがミカエルに「あの人はだれ?」と聞くと、「あれはルシエル。ルシエルは天国に行く扉の鍵をもっていて、彼が扉を開けてくれないと、人類は天国中に入れない」と教えられました。
 山田さんのCD『光と影の優しい歌』に収録された詩は、ルシエルが山田さんに語りかけた言葉を、山田さんが自動書記で書きとったものです。そこには、地上に闇が広がったのはなぜか、壮大なストーリーが語られていました。
 堕天使ルシファーというと、自分は神に匹敵する力があると思いあがったために、神の逆鱗にふれて天から地に落とされ、堕天使、悪魔として、悪の帝国を司るようになったと伝えられています。
 かつてそう信じられていたのは、そう信じる必要があったからですが、これからの時代は、隠されていた真実の一部が明かされることになるでしょう。山田さんが受けとったルシエルのメッセージをご紹介します。

(以下、山田さんの自動書記による詩を秋山さん朗読・・省略) 

―― 山田さんの自動書記では、この後にイエスからのメッセージもあります。イエスは、ルシエルのこのメッセージですべてが提示されたのではなく、多くの事柄のほんのひとすじであり、続きは少しずつ語りましょう、と告げました。
 ルシエルという存在は、これまで知られていませんでした。ルシエルは神の右側に座る者、まさに神の右腕であって、神はその大いなる計らいより、人々に自由意思をもたらす役目をルシエルに託したのです。
 ルシエルはとても美しく魅力的で、そのナンバーは「222」です。222を、三次元というこの世に下ろすと、3をかけて「666」となり、それは悪魔のナンバーとして知られてきました。
 ルシエルの語りを聞くと、体験から学ぶという地上の仕組みの中で、悪事をなす人々の傍らにいて、止めずに見守らなくてはならないつらさを思います。しかも、すべての悪事の責任をルシエルが負うのです。
 自由意思はもろ刃の刃で、人に自由意思を持たせるというのは、子どもにナイフや包丁を与えて「使ってみなさい」というのと同じです。ナイフでおいしい料理を作ったり、手術に使って人を助けたり、楽器を創った人もいますが、短絡的に人を刺してしまう人もいます。そんな派手な場面は人目をひくので、影はもともと人になじむものでなかったにも関わらず、日ごとに増大していったのでした。
 自由意思を行使するには、選択の幅が必要です。一つしか選択肢がなければ、コマンドに従うロボットのようなもので、自由はありません。そこで、人々にも選択の幅が与えられ、片方の端を「善」、その対極の端が「悪」とされたのです。
 ルシエルは、人々に自由意思をもたらすとともに、エネルギーを分離しました。光と影、陰と陽が生みだされ、両極のどちらを体験するか、あるいは、両極の中間も体験してみるという、分離の時代が始まったのです。

―― 直線的な時間軸でいうと、ルシエルが地上に降りたのは約6万年前のことです。当初、地球は光の楽園でしたが、しだいに闇が流行し、闇の帝国が広がりました。
そして神は、自由意思の使い方に戸惑う人々のために、自由意思を愛に使うお手本として、約2000年前にイエスを遣わしたのです。
 イエスの登場によって、人々は自分が愛の存在であることに気づき、愛と光を表現して生きようと思うようになりました。しかし、それらの学びを確実に地に足の着いたものにするために、ルシエルは再び闇の力を発揮して、人々の心の中に疑いを生じさせました。イエスは神を騙る悪魔ではないかと考えさせ、十字架に架けて処刑させたのでした。そしてイエスは肉体の死を迎え、その72時間後によみがえりました。
 イエスの十字架刑は、神とイエスとルシエルが仕組んだ芝居でした。十字架に架けられることで、イエスは善の存在、光の存在として知られることになりました。同時に、闇の力、悪の力、サタンの存在も知られるようになったのです。光と闇の二極性の世界において、私たちは何を選択するかを、突きつけられるようになりました。
 しかし、地上で肉体をもって自由意思を発揮するにあたり、光と闇の両極に選択の幅を広げて学ぶ時代は、もう終わりました。分離の時代は2012年の冬至をもって終わり、それ以降は統合の時代に入っています。
 原因世界における闇の帝国は、音を立てて崩れ去りました。いずれ、地上から悪は消え去ります。現象世界において闇の帝国が残っているように見えるのは、川の上流が浄化されても下流まできれいになるにはタイムラグがあるようなものです。
 地上には光と闇をめぐるテーマが残っていて、私たちには地上を調えるという役目が委ねられています。そしてそれもまた、大いなる神の愛の計らいです。私たちはもう充分学び、もう幼子ではありません。すっくと自立して、一人ひとりが蓄えてきた知恵を生かして創造主になることを、期待されているのです。

―― 山田さんは自動書記の記録を自費出版しましたが、書店には並べず、宣伝せず、自分からは話さないと決めて、縁ある人にだけ配布していました。しかし、記録を読み返すうちに、かつて大天使が娘さんに「ルシエルの担った役割は、そなたの母によってひもとかれるだろう」と伝えたことを思い出しました。
 アダムとエバの楽園追放の神話で、エバを誘惑して禁断の実を食べさせたヘビは、自由意思の象徴でもあります。このストーリーを終わらせるのはエバの末裔であると伝えられていますが、山田さんは自分にその役目があると気づきました。
 山田さんは、今の世の在り方を見て、心、魂、霊魂、そして悪そのものを担ったルシエルの存在について人々に知ってもらう必要があると考え、、年明け1月、著書を出版社から公に出すことを決めました。 

光と影のやさしいお話 ― この世のすべての悪を担った大天使ルシエル それはいまひとつの神の姿であった(ナチュラルスピリット) http://amzn.to/2Di7E0D

 これから、自動書記の本はさまざまな形で出版され、いろいろな読み方をされていくでしょう。光とは広がる力であり、闇とは縮める力です。プラスとマイナスの両極がスパークすれば光が生まれるという、宇宙創造の原理も語られることでしょう。
 私たちは、両極の世界で多くを学んできました。それらすべての学びを踏まえて、神に授けられた自由意思を、破壊ではなくクリエイティブに使うことによって、私たち自身が創造主になる。一人ひとりが神としての役割を果たす時代が、やってきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

質問: 地球の生き物は他の生き物を殺して命をつないでいますが、地球にはなぜそのような宿命が与えられたのでしょうか。エネルギーを他の生命体に依存しないですむ星であれば、価値観もずいぶん違ったのではないかと思います。

解答: 深いご質問です。これからお話しすることは、私の思いつきであり、正解と思わないでほしいのですが、自分の命を生かすために他の命をいただくシステムは、地球だけでなく他の星でもおこなわれています。
 他の生き物を殺して自分の命を生かすというと残虐に聞こえますが、意識のもちかた一つで、いかようにも変わります。残念ながら、現代社会では、人々はお肉を物扱いして、もともとは命であることを意識せず漫然といただいています。
しかし、自然と共に生きる先住民は、動物の肉をいただくとき、「あなたの命をいただきます。私の命と共に生きてください」と意識しています。
 すべての命はつながっていて一つだという意識においては、「殺して食べる」という意識ではなく、「あなたの命を生きたまま私の中に取りこませていただきます。私の命を豊かにすることで周りも豊かにします」という祈り合いであり、生かし合いになります。
 食物連鎖は殺し合いではなく、命のバトンの渡し合いでもあるのです。命の循環のありがたさを思い、お肉を神の愛の表れであると理解して、命に対する尊敬と感謝と祈りとともにいただくなら、その意識を世界に発信することになります。
 もっとも、地球の今後の方向性という意味では、肉体の周波数が高まるにしたがって、感情をもった動物を食べることは減っていくでしょう。命と命はエネルギーを循環させています。このとき、「食べる」という形で物質という器を介さなくても、波動で直接やりとりできるようになるのです。
 私は「不食の弁護士」と呼ばれますが、人からそう紹介されているだけで、私自身は「不食」ではなく「波動食」だと考えています。物質としての食べ物をいただかなくても、そこに乗っている波動、音や光をいただいているのです。
 自分は愛そのもの、光そのものであることを自覚して、愛と光を放射するなら、だれかから命をもらうだけでなく、私たち自身が命を養う存在になります。私たちは相手のエネルギーを吸血鬼のように吸うのではなく、自ら愛を放つことによって、相手をより豊かに元気にする存在になりうるのです。
 今後は、私たちは万物の霊長として、微生物、動植物をより調え、より生かすような生き方をすることになるでしょう。お世話になり続けてきた母なる地球ガイアに、親孝行する時期になるのだろうと思います。


★ 秋山佳胤(あきやま・よしたね)さん
1969年東京生まれ。1992年東京工業大学理学部卒業。1998年弁護士登録(東京弁護士会)、2008年ロータス法律特許事務所設立。2012年医学博士号(代替医療取得。日本ホメオパシー医学協会、英国ホメオパシー医学協会認定ホメオパス。
熱帯雨林保護を目的とするNGOグリーンハート理事。2012-13年、平和使節団としてパレスチナ、イスラエル訪問。コーヒー豆の焙煎歴は約30年、「ロータスコーヒー」として提供。(社)シンギング・リン協会理事。ライアー奏者。

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