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天外伺朗さん 鹿児島講演録

天外伺朗さんの瞑想会と講演会INかごしま」が開催されました。当日は台風のあいまでしたが、遠方から空路ご参加くださる方もいました。瞑想会の後の講演会は質疑応答の時間もたっぷりあって、よい交流の場となりました。講演会と質疑応答の一部をお伝えいたします。 

(2017年10月29日、 鹿児島青少年会館) 
吉田紀子先生(鹿児島福祉センター長)のご挨拶

 日本は現在、世界一の高齢大国です。とりわけ鹿児島は独居高齢者数が全国トップで、高齢の夫婦世帯数も全国三位です。これからはquality of life(クオリティ・オブ・ライフ=QOL=人生の質)だけでなく、quality of death(クオリティ・オブ・デス=QOD=死の質)を考える必要があるでしょう。QODは人生の早い段階から自分の問題として捉えなくてはなりません。QODを考えることは、結果的にQOLを高めることにつながります。
 あらゆる命は一つにつながっていると気づき、一人ひとり健やかに生きることができたら、戦争や虐待もなくなり、よりよい社会が生まれるのではないでしょうか。この講演ではその示唆がいただけると期待しております。

●       天外さんの講演

―― ぼくは医療、産業、経営、教育など、多方面にわたって提言してきました。
そのいずれにおいても、根底に共通する大切なことがあります。この講演には、
「理性と論理をベースに目標を定めて必死に努力する生き方から、宇宙の叡智に身をゆだねる生き方へ」という壮大なタイトルをいただいていますが、QOLという言葉が出ましたので、そこからお話ししましょう。
 QOLの最も基本的なレベルは、生命維持にあります。ポイントは快食・快眠・
快便の三つで、個体保存のレベルに当たり、その一つでも欠けると尊厳をもって生きるのが難しくなります。そこに、成人には種族保存のためのセックスが加わります。
 個体保存と種族保存の必要性の両方が満たされてこそ、人間は人間として完結します。さらに、quality of mind(クオリティ・オブ・マインド=どのような意識状態にあるか)という要素が加わり、人間のQOLは決定づけられるのです。

―― QOLの基本的なレベルの上には、活動というレベルがあります。活動において必要な要素は、歌と踊りと祈りの三つです。人類はマンモスを狩っていた頃から、歌と踊りと祈りを人生に必要なこととして大切にしてきました。
 昔は、歌と踊りは神さまに奉納するための活動でした。祈りは、基本的には瞑想のことです。ところが、現代人はこの三つ、特に祈りを疎かにし、歌や踊りはエンターテイメントに変質しています。歌と踊りも本来は神聖なもので、ぼくはハワイの遺跡の中で伝統的なフラダンスを見ましたが、すべて神に捧げる祈りでした。古来のフラを受けつぐ人たちは、ショーとしての日本のフラダンスブームを快く思っていません。
 現代人は、歌と踊りと祈りを、無駄なことと考えています。しかし人間は、それらを通して神とつながり、大自然とつながってきたのです。生きることの本質から考えると、学校での勉強や会社での仕事こそ、無駄なことです。
 がんばればがんばるほど、分離感が深まり、生きにくくなります。歌って踊って祈りながら生きるというのが、より自然な人生なのです。

―― ぼくは35年前から、健康診断も人間ドックも拒否しています。できれば医者の世話にならずに死にたいものです。いかに死んでいくかを意識することは、いかに生きるかにつながっています。このテーマは、この会の活動の原点にあります。
 ホロトロピックネットワークの前身は「マハーサマーディ研究会」といい21年前に発足しました。「マハー」は「偉大な」、「サマーディ」は「瞑想の境地」を意味し、合わせて「マハーサマーディ」は、瞑想しながら至福のうちに亡くなることを意味します。
 会を立ち上げたきっかけは、父の死でした。父は脳梗塞で倒れて体は不自由でしたが、自分で葬式の写真を選び、家族にも見舞客にも挨拶をして、それは見事に最期を迎える準備をしていました。
 ところが、集中治療室に入ると全身に多くのチューブを付けられて、モルヒネを入れられ、朦朧となってチューブを抜こうとするので、両手を縛られました。最期、父は心を閉ざして、誰にも看取られずに亡くなりました。

―― もっとまともな逝き方をさせたかった、と痛恨の思いでした。そんなとき、
松原泰道さんという臨済宗のお坊さんと対談し、「坐亡」について教えていただきました。坐亡とは、坐禅をしながら至福のうちに亡くなるという逝き方のことです。
 ちょうどその頃、船井幸雄さんが主催する直感力研究会で「いかに死ぬか。死とは何か」というタイトルで講演をおこなう機会があったので、「至福のうちに亡くなる死に方を研究しませんか」と呼びかけたところ、会場では大きな反響がありました。
 ただ、その後の永六輔さんとの対談で、「死とは個人的なもので、研究会のテーマにはそぐわない」と批判されたので、一般の人には理解されないだろうと諦めていました。ところが、ぼくの趣旨に賛同した船井幸雄さんが「天外さんが『死に方の研究会』を作ります」とアナウンスしてしまい、あっという間に会員が800人集まって、マハーサマーディ研究会が発足したのでした。

―― 現代人はほぼ全員、死の恐怖を抑圧して生きていて、その不自然さに気づいていません。アメリカインディアンの長老は死と直面できているので、ぼくは彼らとの付き合いを通して、現代人がいかに歪んでいるか、実感するようになりました。
 死の恐怖が抑圧されていることを指摘した人に、ラムダスがいます。ラムダスはホーリーネームで、本名はリチャード・アルバートといい、カウンター・カルチャーが盛んだった頃、ハーバード心理学准教授としてLSDを使用した意識の覚醒を研究していました。
 LSDは精神科の薬物で、服用すると変性意識に入り、宗教家が修行して得られるような神秘体験をしますが、服用者の中に精神不安定になったり犯罪に走ったりするケースが出たため、禁止されました。そこでアルバートはインドに渡って修行し、薬物によらない意識の変容を体験してアメリカに戻りました。そして現代人が死の恐怖と直面できていないことに気づいて「死の瞑想」を開発し、その思想はホスピスの源流となったのです。
 もっとも、死と直面できている人がごく少ない現状で、ラムダスの理念を忠実に実現するホスピスは、ほとんど存在しません。ぼくはホスピス関係者から、ホスピスでお坊さんに講演してもらうと、死に向かって心の準備をしていた入所者が大混乱してしまうという話を聞きました。お坊さんでさえ、死と直面できていないのです。多くの患者さんを看取ったお医者さんでも、死と直面できている人はほとんどいません。

―― 死と直面すると、人は心理的に根本的な変化を遂げることがあります。こ
の変化は、実存的変容と呼ばれます。心療内科の基礎を築いた九州大学教授の池見酉次郎さんは、実存的変容は癌の自然寛解をも引き起こすと指摘しています。
 実存的変容とは、さなぎがチョウになるようなものです。さなぎは生きたままチョウになるのですが、さなぎという意識が強いので、変容は死の恐怖を伴います。恐怖を抑圧している間は、変容に強烈にブレーキをかけています。
 永遠に生きるようなふりをして生きているとき、死の恐怖は抑圧され、巨大なモンスターになって、人生を支配しています。しかし、末期癌で余命3か月と宣告されると、死の恐怖は、等身大の恐怖として目の前に現れます。
 本人は、初めて恐怖を感じたと思うかもしれませんが、そうではなく、もともとあった巨大なモンスターが等身大の恐怖として現れただけで、ずっと直面しやすいのです。そして、この恐怖を乗り越えたとき、人は実存的変容を起こすのです。

―― ぼくは20年以上前から、病気になってから行く病院よりも、まずは病気にならないようにケアするホロトロピックセンターを設立すべきという、医療改革を提言しています。病気にならない生き方を指導しつつ、それでも病気になった人に対しては、ホロトロピックセンターでは、医療者は治療をおこなうとともに患者さんの実存的変容をひそかにサポートすることが期待されます。
 古今東西、死と直面することは宗教でも大きなテーマでした。日本では、「四」は「し=死」を連想させるという理由で、香典には4万包んではいけないとか、昔はホテルに四階をつくらないとか、細々した慣習がありました。死について考えてもいけない、言葉にしてもいけない、と抑圧していると、死の恐怖というモンスターを作ることになります。
 一方、QODを考えてみようと思うだけで、抑圧がゆるみ、モンスターに支配された人生から少し自由になるので、QOLも上がります。「いい死に方をしたい」とほのかに思っていると、死を意識することになり、死と直面することにつながるので、実存的変容を迎えやすくなります。

―― 名経営者には、重篤な病気を克服した人が多くいます。たとえば、稲森和夫さんは、当時死病といわれた結核を克服しています。それは、死と直面することで実存的変容を起こし、死の恐怖という巨大なモンスターに人生を支配されなくなるからです。
 実存的変容は、悟りのプロセスから見ると、とても小さなステップです。それでも末期癌が自然寛解したり、名経営者が生まれたりするのですから、人生から見ると大きなステップです。
 ただ、実存的変容をとげると聖人になるわけではありません。実存的変容とは、自分で作った枠を壊して、生命のエネルギーに忠実に生きるようになることです。場合によっては、良妻賢母だった人が恋に狂うようなこともあるでしょう。
 社会倫理的には非難されるでしょうが、枠の中で一生を終わるよりも、心理的には一つの進歩です。良寛や一休も、70歳を過ぎて恋に溺れたと伝えられます。

―― 人生の早い段階で実存的変容を遂げなくても、年をとると穏やかに逝かれることもあります。母が92,3歳のとき、ぼくは母の実存的変容をサポートしたいと試みたことがありますが、死を話題にしようとすると、母は話を逸らしてしまいました。
 母は97,8歳で施設に入り、スタッフの人気者になりました。101歳のとき、母は危篤でこん睡状態になりましたが、ぼくが「生んでくれてありがとう」と声をかけると強い反応がありました。そして家族に見守られ、スタッフが号泣する中、穏やかに息を引き取りました。
 息が止まってからお医者さんが来ましたが、聴診器を当てると心臓は動いていて、30分くらいしてから「お亡くなりになりました」と言われました。母を看取って、ぼくは死ぬときは必ずしも医者は要らないのだと思いました。
 死亡診断書には「老衰」とありました。母は死と直面するプロセスは経なかったと思いますが、マハーサマーディでなくても、よい逝き方をしました。

―― ぼくは25年前『あの世の科学』というベストセラーで、量子力学が発達した結果、宗教はサイエンスに近づいていると記しました。それを読んで、とても喜んだのは新興宗教の人たちでした。熱烈なファンレターが届いたり、パンフレットにぼくの本が引用されたりしたので、ぼくは何だか嫌だなと思い、サイエンスと宗教というテーマについては書くのをやめました。
 その後、ぼくにはさまざまな気づきがありました。そして、サイエンスが語ることは宗教に似てくるかもしれないが、本質的に両者はまったく異なるもので、サイエンスで宗教は説明できないという結論に達しました。

―― 去年、ぼくはホリスティック医学協会とバイオレゾナンス医学会で量子力学の連続講義をしました。なぜ医療関係者が量子力学に興味を持つかというと、近代科学では原理を説明できない医療も、量子力学なら解明できるのではないかという期待があるからです。バイオレゾナンス医学の創始者ドイツのパウル・シュミットは、バイオレゾナンス医学と量子力学が関係することをほのめかしています。
 ぼくが講演に呼ばれたのは、『あの世の科学』の印象が強かったからでしょうが、ぼくははっきり、量子力学によって波動医学を解説することはできないと語りました。そして、それらの講演録に、さらに気づいたことを盛り込んで、新著『無分別智医療の時代へ』を出版しました。
 この本は、医療をテーマにしていますが、量子力学の解説や生き方についても触れてあります。そして、サイエンスがいくら進歩しても、それは分別知の範囲にとどまり、ものごとの本質には触れられないということを明記しました。

―― 分別知というのは、仏教の言葉で、「ものごとを分け隔ててとらえる凡夫の浅はかさ」を意味します。それに対して、ものごとの本質をまるごと捉える智慧を「無分別知」と呼びます。
 ぼくが分別知の限界を感じるようになったのは、「祈りの旅」の影響があります。日本列島には5000年から10000年続く民族の戦いがあり、虐殺されたアイヌや出雲族などの怨念が封印されています。この九州にもアイヌがいて、アイヌ語の地名がたくさん残っています。ぼくはその封印を解くために、アイヌの長老アシリ・レラさんや口羽和尚さんとともに祈りの旅を続けています。
 ヤマト民族はアイヌを虐殺して、御霊を封印しながら北海道まで追い上げました。征夷大将軍の「夷」とはアイヌを指し、アイヌの虐殺者がサムライの大将であったわけです。特に、空海が封印に関わるようになってから、封印が効率的におこなわれるようになりました。封印したのは、その民族の末裔を弱らせるためでしょう。
 封印した場所には、神社が建てられたり、「戸」の字のある地名がついたりしています。神戸、水戸、八戸などは、アイヌや出雲族を虐殺して、たくさんの御霊を封印したところです。日本家屋が東北を鬼門と称して結界を張るのは、東北からのアイヌの怨念を封じるためですし、徳川家康が江戸の東北に日光東照宮を建てたのは、怨念が江戸に入るのを防ぐためです。

―― こういった歴史は書物に記されていないので、「祈りの旅」ではチャネラーを使っています。5月のツアーでは、朝日姫(アイヌ語ではベケレマツ)というお姫さまが一族郎党と虐殺されたところを探し、チャネラーのビジョンとぴったり同じ場所を見つけて、儀式をおこないました。東北全体の封印のキーとなる虐殺だったようで、儀式のとき、アシリ・レラさんは、高知の舞姫にのりうつったベケレマツを解きはなちました。
 祈りのときは、いろいろなことがあります。封印のために首と胴体を別々に埋められた御霊は、見えない世界で首と胴体をつなげてから光の世界に上がっていくのですが、チャネラーが「いま胴体が出てきて首をもちあげています」というように、実況中継してくれました。
 祈りの旅では、複数のチャネラーを同行することもあり、言うことがそれぞれ違っていることもあります。ぼく自身には見えないので、固執せずに受け入れられるのでよかったと思います。サイエンスは絶対に無分別知にたどりつけないというのは、このような体験からもきています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<以下、質疑応答(抜粋)>

Q 実存的変容を日常生活でサポートする方法はありますか。

―― ホロトロピックブレスワークなどのワークがあります。精神科医のスタニスラフ・グラフが開発した呼吸法で、LSDを使ったワークが禁止されてから、薬をつかわずに変性意識をとげるワークとして開発されました。
 亡くなりましたが、吉福伸逸さんという伝説的なセラピストのおこなうホロトロピックブレスワークは、生易しいものではありませんでした。極端なところまで追い込むワークで、心の奥底のものが噴きだして暴れだす人もいました。吉福さん亡きあと、そこまでできるセラピストは出ていません。

Q 怨念が封印されている神社には、どのようにお詣りしたらいいでしょうか。

―― 神社にはそれぞれ縁起が伝えられていますが、それは表向きで、ほとんどの場合、実際は封印のために建てられていると思います。チャネラーと訪れると、ここで誰が殺されて首と体はここに埋められたとか、ここは30人殺されて埋められた、という話が出ることもあります。そういうところで家内安全、商売繁盛を祈るのは、どのようなものかなあ、とぼくは思います。

Q 熊襲もアイヌの一部族でしょうか。

―― 熊襲がアイヌかどうかは知りませんが、アイヌが九州にいたのは確かです。日本列島には古来たくさんの民族が渡来しました。特に九州は大陸から近いので、多くの部族が来ていて、アイヌはそのうち比較的昔に来た部族です。
 昔は太陽信仰があったので、大陸で戦に負けた部族が日の昇る方向に逃げてくると、その最果てが日本だったのです。朝鮮半島でいうと高句麗や新羅からも来ていますし、秦が滅びたときは19万人が来て、稲作を伝え、平安京を作りました。
 出雲族はシュメール系のドラビダ人で、もともとインドにいたのがアーリア人に追い出されて日本に渡りました。これは歴史学の裏付けがあります。

Q 出雲族やアイヌの虐殺だけでなく、秀吉の頃の朝鮮半島での虐殺など凄惨な歴史がありますが、平和外交をもたらすために、民族の歴史をどう教えたらいいとお考えですか。

―― ヤマト民族は歴史を隠ぺいしていて、23000年の封印を明るみに出すのは簡単なことではありません。自分のインテンションで何かしようとするより、我々ができることをして、その後は天にゆだねる方がいいでしょう。封印された怨念をひもとくなどするうちに、遺跡が発見されたりして、歴史観は自然にひっくり返ると思います。
 かつては出雲族を話題にするのは不敬罪で、天皇に対する反逆に当たりました。いまでも出雲の人は出雲族の話をするときは声を潜めますし、出雲大社にはお詣りしません。
 出雲族の遺跡が発見されたのはほんの2,30年前で、それまでは「出雲王国はない」というのが定説でした。梅原猛が、出雲族がいないとしたのは誤りだったと認めて、『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』という本を書いていますが、このように歴史が書きかえられることは、これから起きてくると思います。

Q 天外さんは教育論で「教えない、叱らない、やらせない」と提唱しておられますが、「叱らない」ためには、自分の気持ちを抑圧すべきでしょうか。

―― 最初は我慢してでも叱らないようにしているうちに、それが自然になっていくのが最もいいです。叱ってもいいことは一つもありません。
 「本気で叱らなくてはいけない」という教育者もいますが、それは「無関心でいるより本気で叱ったほうがまし」という意味です。無関心というのは目を逸らしている状態で、きわめてまずい。そして本気で叱るよりも、子どもをちゃんと見て、しかも叱らず受容するという状態が、最も望ましいのです。
 企業でも、ユーザークレームのたびに原因となった社員を叱っていたら破たんします。人間性経営学では、クレームを宝の山と見なし、社員は叱らないというのが基本です。
 社員を連れて上長が謝りにいくと、自分のミスに頭を下げる上長を見て、その社員は成長します。一方、横田さんのように、上長は出て行かずに、社員自身にクレーム処理させるのをポリシーとする経営者もいます。このように方法論はさまざまですが、いずれも「叱らない」という原則は共通しています。

Q 死と直面するというときの死は、自分の死でなくてはならないでしょうか。

―― 心理学的にいうと、疑似的な死となりうるものは多くあります。近親者の死、離婚、会社の倒産、リストラ、みんな擬似的な死です。そういったことでシュミレーションしながら本当の死に向かっていくのが、人の人生です
 擬似的な死は、自分の死ほど切実さはありませんが、死と直面することはできます。重篤な病気でなくても、倒産しそうになって実存的変容を起こした人もいます。ただ、末期癌で余命3か月と宣告されても実存的変容を起こす人は少ないのですから、疑似的な死から実存的変容につながる人は、さらに少ないです。でも可能性はあります。

Q 亡くなった親との関係にトラウマがありますが、癒すことはできますか。

―― 親子の葛藤は100%だれにでもあります。吉福さんによると、「10万
年来の人類共通の病理」です。親子の葛藤のために、人の人生は制限されています。
 葛藤を解消しようとするとき、いま生きている親との関係を何とかしようとする人が多いのですが、解決すべきは、親自身との関わりというより、自分の中に住んでいる親のモンスターです。対峙すべきは、かつて親との関係性の中で生まれた、自分の中のモンスターであって、いま生きている親は関係ありません。その意味では、親が亡くなっているほうが、葛藤は解消しやすいです。
 天外塾の後に、ぼくは深い瞑想を指導していて、そのうちの一つに親子の葛藤を解消するワークがあります。このワークで、人生が大きく開ける人もいます。あなたは葛藤に気づいているだけで、解決の入口まで来ています。たいていの人は葛藤があることさえ気づけないでいるものです。

Q 二つの選択肢のうちどちらもそれぞれいい悪いがあって、一つを選べないときは、何を基準にしたらいいでしょうか。直観でしょうか。

―― ものごとには基本的にいい悪いはありません。どちらがいいか悪いかと頭で考えているうちは、分別から離れられません。あなたはネガティブなエネルギーにレッテルをつけて、そこに迷いが生じています。そのレッテルを解いていかなくてはなりませんが、頭が優勢なうちは難しいでしょう。
 天外塾では、判断をしない生き方のコツをつかんでもらうために、「鳥の瞑想」を指導しています。善悪に捉われないというのは難しいことですが、「私はまた捉われている」と意識するだけでも違います。
 質問のお答えにはなっていませんが、そもそも問いじたいが、答えとして返せない問いです。いい悪いというのはロジックですが、ぼくが伝えたいのはロジックを超えることなのです。

Q 天外さんの著書で「明け渡し」という言葉を知りましたが、偶然の一致が続いたとき、それに身をゆだねるのも、明け渡しでしょうか。

―― 明け渡しは、「明け渡ししよう」とか「どうするのが明け渡しか」などと考えていたらできません。浄土真宗の妙好人は、阿弥陀如来にすべて明け渡すという生き方をした人のことで、男性が多いですが、ぼくの周りでは明け渡しできたのは、みんな女性です。
 明け渡しは自然に起きることで、明け渡しが起きているときは、不安はまったくなくなります深澤里奈子こさんは何百年も続いた老舗旅館の女将ですが、あるとき旅館経営はしたくないと気づいて、ミシュランをとった有名な料理人を解雇しました。翌月の見通しもないのに、まったく不安はなかったそうです。ふつうの経営学のリスクマネージメントをしていたら、明け渡しは未来永劫ありません。

Q ぼくは宗教には興味がありませんが、神さまはいると感じています。祈りをささげるときは、どこに向けて祈ったらいいのでしょうか。

―― ぼくはパイプセレモニーをおこなう祈りのプロですが、インディアンの長老から聖なるパイプをいただいたとき、長老から、「このパイプをもって祈った
らすべて実現する。それはとても危険なことだ。パイプをもったら感謝の言葉以外は口にするな」と厳しく言われました。ぼくの師匠も、そのまた師匠からパイプを譲られたとき、同じことを教えられたそうで、ぼくはその教えをしっかり守っています。
 もっとも、インディアンのすべての長老がそうなのではなく、自分のことは祈らないという原則はあっても、依頼者に望まれるとえげつない祈りをする長老もいます。しかし、ぼくの場合は、感謝の言葉しか口にしません。だから、どこに向けて祈るということはないのです。

 

Q 瞑想を続けていると、潜在意識の能力を発揮できるようになりますか。

―― 瞑想すると祈りの力がつきます。祈ったら実現するようになりますが、そのような力がついたときは、そうとう気を付けないと危険です。
 人は一人ひとり宇宙をつくっています。内側の宇宙が調えば、外側の宇宙も調っていきます。しかし、その前に祈りでエゴを実現することは、自分のもっている宇宙をひずませることになります。祈りの言葉が実現しても、そのひずみがどこにどういう形で出るか、しっぺ返しがどこにくるか、誰にもわかりません。
 ぼくの知人で、毎朝お経をあげて祈りの力を付けた経営者がいました。気に入らない人物が会社を辞めるといいなと考えていたら、実際いなくなったのですが、本人は脳梗塞で倒れてしまいました。
 伊勢神宮の宮司さんは、選挙前に代議士が参詣にくると、「自分が当選するように、とは祈らず、日本にとっていい結果でありますように、と祈ってください」と指導しているそうです。
 成功哲学や引き寄せの法則では「思いは実現する」といいますが、エゴの願いを実現したところで、いったい何の意味があるでしょうか。瞑想して祈りの力がついたら、願いごとをしないように気をつけたほうがいいです。

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