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光田秀さん講演録

 人類はどこから来て、どこにいて、どこに行くのか――そんな根源的な問いを、超古代文明というキーワードから探ってみましょう。ギリシャの哲学者プラトンが記したように、地球上にはかつて超古代文明があったという伝承が各地に残っています。エドガー・ケイシーの研究者、光田秀さんに、ケイシーの過去生リーディングからわかることをご講演いただきました。(2016年10月20日ウィメンズプラザにて)

★エドガー・ケイシー(1877-1945) 心霊診断家。写真業を営む敬虔なクリスチャン

でありながら、催眠状態に入ると人々の質問に答えて病気の治療法を教えたり、魂の記録(アカシックレコード)を読んで過去生を解き明かしたりした。

★ 光田秀さんプロフィール: NPO法人日本エドガー・ケイシーセンター会長。158年広島生まれ。京都大学工学部卒。20歳の頃、ケイシーの『転生の秘密』を読み、霊的人生観に目覚める。政府研究機関勤務を経て、ケイシーの研究・翻訳・著述・講演に専念。「眠れる預言者エドガー・ケイシー」「永遠のエドガー・ケイシー」「キリストの秘密」など訳書多数。

―― 超古代文明というとアトランティスとムーが知られていますが、ケイシーが主にリーディングしたアメリカ人は、アトランティスの過去生をもつことが多く、ムーにいたというケースは少ないです。東洋人の過去生をリーディングするなら、ムーの情報をもっと得られたかもしれません。
 ケイシーは、ピラミッド、ストーンヘンジ、マチュピチュといった遺跡は、超古代文明の人々が遺したものだと主張しています。特にピラミッドについては、ケイシー自身が過去生でその建設に携わったこともあり、詳細に語っています。
 歴史学では、ピラミッドは10年間で230万個の石を積み上げることによって建造されたとされます。つまり、一日八時間労働と仮定すると、1個ずつなら5分、四方向からいちどに積んだとしても、1個15分で積み続けた、というのです。ちなみに、石は、大きいものでは10トンもの重さになります。当時のエジプトには滑車も車輪もなかったことを考えても、とうてい不可能ではないでしょうか。
 さらに、石組みの精巧さはまさに驚くほどです。現在のピラミッドは、盗掘とその後の地震のため、一部が崩されて花崗岩がむき出しになっています。しかし、建造当時は、ピラミッドには石灰岩の化粧版が嵌められて、ほとんど筋目が見られなかったのです。
 ピラミッドは、アトランティスが崩壊したBC1万500年ごろ、重力をコントロールするテクノロジーを利用して100年かけて造られたというのが、ケイシーの主張です。歴史学ではBC3500年ごろとされていますから、そのずっと前の時代です。ケイシーによると、エジプト文明は、アトランティス人の末裔と、ヨーロッパ地域から移動した人たちと、エジプトに土着していた人たちが混合して築いた文明だそうです。
 ピラミッドは、高度な文明も滅びうるという警告と、その後の人類の思想的な変遷を石組みで予言したものだそうです。たとえば、王の間に石棺だけがあってミイラがないのは、「人間には死がない」ことの象徴である、とケイシーはいいます。ピラミッドには、まだ調査の進んでいない空間が内部にあり、今後の研究が待たれます。

―― ケイシーによると、アトランティス大陸はかつて大西洋に実在し、20万年くらい存続した文明です。アトランティスはBC5万年に最初の崩壊があり、大陸は3つの島に分かれました。さらに、BC2万8千年、2つの島が水没、残った1つの島ポセイディアに、アルタという都市が栄えていました。そしてBC1万500年ごろ、エネルギーを誤用したのがきっかけで3回目の崩壊を起こし、海中に没したのです。
 同じころ、ムー(レムリア)大陸も、アトランティス崩壊のあおりを受けて、海中に没しました。ムーとレムリアを別の大陸と考える研究者もいますが、ケイシーは同じものと考えています。ケイシーによると、レムリア大陸にはムー一族が支配していた地域があり、彼らが勢力をもっていたために、レムリア大陸はムー大陸とも呼ばれるというのです。
 ムー文明の痕跡は、太平洋のさまざまな場所にあるとされます。一方アトランティスの痕跡は、マイアミ、ビミニ諸島、ペルーのあたりまで広がる巨大な大陸で、ビミニ諸島は最後に水没した高い山脈の突端にあたります。そのため、いまもビミニ諸島では質のよい地下水を得られるそうです。
 レムリアが没したとき、人々はアメリカ、中南米ユカタン半島、ペルー、アジアに向かうグループに分かれました。最も西まで移動した人たちは、日本や中国に向かったようです。このうちペルーに移った人たちは、水没した故郷を思い、海から離れた内陸に文明を築こうとしました。それがマチュピチュです。マチュピチュ建造には、アトランティスの末裔も合流して関係していますが、中心となったのはレムリアからの避難民でした。
 マチュピチュは、歴史学では15世紀頃の建造とされますが、ケイシーはピラミッドと同じ、BC1万500年くらいの建造と主張しています。
 マチュピチュの石組みもきわめて精巧で、石と石は奥のほうまでぴったり組まれていて、剃刀一枚も入らないほど、隙間がまったくありません。しかも、石が切り出されたのは遺跡から10数キロ離れた場所で、その間には渓谷もあります。
 人力ではとても動かせない石が、重機を置くスペースもないような場所に軽々と据えつけられているのです。それを考えると、現代文明のテクノロジーを超えた何か、たとえば重力をコントロールできる技術があったと想定するほうが自然でしょう。
 なお、興味深いことに、エジプトのピラミッドがきっちりした直線の立方体で造られているのに対して、マチュピチュの遺跡の石は、自然の造形を活かそうという発想で切り出されて、曲線が多いという特徴があります。アトランティスとムーの文明には、このような世界観の違いが見られます。

 

―― ケイシーのリーディング記録は1万4306件あり、そのうち病気に関するものが7割で、過去生については2000件くらいです。過去生のリーディングのうち、アトランティスにまつわる情報は600件.レムリアやムーについてはさらに少なく、私が調べたところでは26件しかありません。
 ケイシーのリーディングでは、いちばん近い過去生からさらに古い過去生へとさかのぼって説明されます。私が調べたリーディングで、アトランティスやムーにまつわる記述には次のようなものがあります。

* アトランティスとムーが地殻変動で海に沈んだとき、一部の人たちは、ロッキー山脈、ニューメキシコ、ネバダ、ユタ、コロラド方面に避難した。移住先だったアリゾナやネバダ居住者には、ムーの過去生をもつケースが多い。(たいていの魂は、なじみのある場所で転生することを好むからと思われる)避難者たちは、最初、洞窟に居住し、服としては皮革を身にまとい、装飾品として金属を加工していた。彼らは、宝石や貴金属に関心があった。
* 超古代文明には、重力をコントロールするテクノロジーがあり、浮上させて移動することができた。また、彼らは空間認識に優れていて、平面図を見るだけでその空間を容易に想像できた。
* アトランティス人の名前は子音が多く、ムー人の名前は母音が多い。(日本語が母音言語というのは、ムー文明の要素をもっているのかもしれない)
*ムーが崩壊したとき、ロッキー山脈、ニューメキシコ、ネバダ、ユタ、コロラドに移住した人たちの中に、「その土地で初めて家庭生活を樹立した」過去生をもつ人がいる。(つまり、それ以前の時代、人々は集団で生活をいとなみ、子どもは社会ぜんたいで養育していたと考えられる)
* アトランティスやムーの初期、人々は純粋な霊魂として存在した。体に完全に入りきっていなかったので、霊的世界から地上に下りると、霊として地上を体験し、興味が尽きれば、霊の世界に還っていった。当時の人たちは、体に自由に出入りしながら、物質に働きかけることができた。その時代の大気圧は、現代と比べて低く、「薄い」肉体でも耐えることができた。

 * 時代が経つにつれて、人々は徐々に物質に「からまる」ようになり、動物の状態に近づいていった。やがて、人々は自分の想念の力で肉体を作って、その中に自分を入れて「もつれこむ」ようになった。ひとたびもつれこむと、ふつうの力では、そこから抜けだすことができない。
*アトランティスの人々が移住先としてエジプトを選んだのは、エジプトが地球の変動をいちばん受けにくいと判断したため。
*  現代人には、アトランティスやムーの末期の過去生をもつ人が多い。文明が安定しているとき地上に下りることを好む魂と、崩壊の危機にあるとき地上に下りることを好む魂があるが、現代人は後者であるといえる。
*アメリカ西部には、ピラミッドのように人工的な丘があり、「マウンドビルダーが造った」と伝えられている。(あまり研究されていないが、アトランティスやムーからの避難民が築いたのかもしれない)
*ある過去生リーディングで、<「物質活動に対する霊的影響力として」6000年間「神霊」として住んでいたが、アトランティスの最後の崩壊のとき、人々と一緒にユカタン半島に避難移住した>というきわめて興味深いケースがあった。
 つまりその人は過去生で、アトランティス時代にご神体としてまつられていた、というのである。移住先のユカタン半島にはレムリアからの移住者も多く、そのご神体はレムリアの人々を好まなかったので引きこもり、やがて自分自身で木星に向かって飛び立った、とされる。(ケイシーのリーディングでは、人は死後、自分の特質に合った惑星に滞在するが、この存在はご神体だったためか、自分の意思で地球を脱出したという、めずらしいケース)
*アトランティスでは、「一者の法則」と「ベリアルの息子たち」と呼ばれる二つのグループがあった。「一者の法則」は、人間の霊的本性を自覚し、人間の存在を維持しているのは神であると了解していた。一方、「ベリアルの息子たち」は、人間のエゴをあくまでも追求していい、という教えで、「闇の子ら」とも呼ばれた。最終的には、「ベリアルの息子たち」がエネルギーシステムを暴走させて、アトランティスを崩壊に追いやった。
* 物質文明という面ではアトランティスはポセイディアにおいて最高レベルに達していたが、レムリアの一部には、それと同等またはしのぐような文明が存在していた。レムリアは非常に宗教的な文明だったらしく、高度な科学文明をもつと同時に、人の霊的本性に対する理解が進んでいた。
* 地殻変動が生じる前のレムリアには、人の娘・息子と、神の娘・息子のあいだに混血があった。(聖書の創世記には、地上には巨人がいたという記述があるが、その時代のことかもしれない)
* 人間は、転生と転生の間、霊的世界に存在し、いくつかの惑星に滞在する。3,4つの星に滞在することが多く、いちばん最後に滞在した惑星の影響を強く受ける。
多くの人は、太陽系内の生まれ変わりに束縛されている。今生の生き方によって、その死後に訪れる惑星が決まる。忍耐力が欠けていたら土星、もっと躍動的になるべきなら火星など。
* 水星に滞在すると太陽に近くてそのエネルギーを強く受けるので、脳細胞の働きがよくなる。金星に行くと美しいものを好むようになり、木星に滞在すると思考が拡大する。海王星の影響を受けると神秘主義的になりやすい。天王星からくる人はきわめて強い意志力を発揮する。アトランティスやレムリアの過去生をもつ人は、さいごに天王星に滞在し、そこから地球に飛来することが多い。

* 地球に近い星から来ると、地球の暮らしになじみやすいが、遠い星の場合は合わせづらい。海王星などはとても遠いので、地上では変人と思われる。太陽に滞在するケースは数少ないが、まれにいて、一時代をリードする傑物になりやすい。
* ケイシーは、800年周期の惑星配列によって、人間社会は大きな影響を受けると考えた。たとえば、現代と同じような配列だった800年前は、ヨーロッパでは十字軍の遠征の時期にあたる。800年前に地上でどのような舵を切ったかで、のちの歴史は尾を引くように影響を受ける。ヨーロッパでは、800年前のキリスト教徒とイスラム教徒の戦いが、現代に大きな影響を及ぼしている。
(日本で800年前は、鎌倉幕府の成立のころで、公家社会から武家社会へ転換を遂げた時代にあたる)
* 1909年から1913年までの4年間に、アトランティスの過去生をもつ人たちが大挙して地球に入ってきた。この種の流入は数十年に1回みられる。
(文明の進化に寄与する人々が、同じような年代にかたまって現れる現象があるが、それはそのような転生の仕組みによるものかもしれない)
* 過去生で日本を訪れたというケースはいくつかあるが、日本で生きたという過去生をもつ人は、ケイシーのリーディングでは一人しかいない。元カトリック神父のスピリチュアルヒーラーで、直近の過去生はアメリカ、その前の過去生ではキリスト教が始まったころのローマ兵として生き、さらにその前は「まだ半分人間になっていない人たちがいる」エジプトにいた。さらにその前に、その人は「日の出ずる国」「神道の国」「現在日本として知られる土地」にいて、人々に多大な貢献をしたという。ケイシーは神道を「人と自然の関係を考えることを促す宗教」「すべての魂がこの地上生活を送るにおいて、充実した生活を送るために必要な真理であり教義である」と説明している。その人は、さらに前にはレムリアにいて、レムリアが沈みかけたときアイオワ州に避難移住した。
* ムーが栄えていた時代は、「自然のエレメンタルが人間に対して優しかった」すなわち自然環境が穏やかだった。ムーの人々は木造の家に住んでいたため、居住跡の痕跡が残らない。石造りなのは、神殿など、長期に残さなくてはならない建造物だけだったようだ。衣類は、リネン、コットン、シルクがよく使われていた。象牙、金糸銀糸を使った繊細な工芸品、装飾品、彫刻なども好まれた。金、銀、鉛、ラジウムなどを扱う労働者もいた。ムー人は、身長175センチくらい、青い瞳と暗い金髪をもち、手の指は6本で足の指は5本が多かった。(ペルーの天野博物館に所蔵されている敷物の中央には、6本指の人物が描かれている。ペルーにはムーの血が濃く流れているのかもしれない)
* アトランティスの末期、崩壊の危機にあった地球を懸念して、UFOが飛来している。その中には、地球を気に入ってその後の転生を太陽系で過ごすことにした宇宙人もいた。ユカタン半島のマヤ文明は、特に宇宙人との交流が深かった。

 

エドガー・ケイシー研究の第一人者である光田さんには、今回のご講演のために大量のリーディング資料から超古代文明の情報を抜粋していただきました。実際のお話では、独特の文体によるリーディングのテキストのご紹介もありました。詳細にご関心のあるかたは、光田さんのご著書をご参照ください。

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