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清水義久さん出版記念講演会(後編)

   『この素晴らしき「気」の世界』出版記念講演(後編)

    〜DOING だけではない生き方〜  清水義久さん

 

 

 7月末に障害者施設が襲われ、19名の障害者たちの命が奪われた。その施設の元職員である犯人は、「治らない障害者たちは不幸と苦しみの中にいるし、家族にとっても不幸だからこの不幸を終わらせたい」と殺人の許可を求める手紙を書き、実際に重度の障害者ばかりを狙って殺した。これはどこかオウム真理教やイスラム国の正義に似ている。

 彼らに欠けているのは、命は「存在の輝き」だという価値観である。生きていることは何もしなくても価値がある。それは、気を認識し、輝ける気を感じ、オーラを見て、生命体がこの世に存在するというだけで、それは宝石のごとく素敵なできごとなのだと知覚することから始まるのだと思う。

 

 モノは気、エネルギーを出して、そのオーラは広がるように輝いている。誰かがそのモノに近づいたり触れたりすると、ふたつのオーラは反発したりくっついたりする。モノにも好き嫌い、合う、合わないがあり、人はもっと顕著だ。しかし、そうしながらもお互いのオーラがそれぞれ輝いているということにおいては同じで、あなたも輝いているし、あなたがいま手にしているボールペンも輝いている。

 この世のbeing、存在するということはエネルギーを伴っている。何かがここに存在するというのは、素粒子があって、モノが引き寄せあい、分子や原子ができる。素粒子は素粒子のオーラがあり、原子や分子組織はその組織のオーラがあり、それぞれのオーラは階層構造を持ち、多重構造で重なり、ひとつのバイブレーションとしての波が合成される。そしてあなたがいる。その波は、命の輝きとしてのあなたが外の世界に共感を持とうと同調しようと出しているオーラだ。そして人には、近づいたときに一体化するように線と線が繋がっていく人と、逆に線と線が離れていく人がある。好き嫌いもこの現象である。そして、何かをしてうまくいくということは、お互いのオーラが伸びあって手がつながるように絡み合い、その状態から一個に重なろうとする現象であり、逆にオーラが分かれて離れていくものは、うまくいかない、つまり失敗ということになる。(略)

 

  生き方のすべてに完全なゴールを作る。そのゴールに向かって何かをやるときに、エネルギーボールを手に持って、すでにうまくいったと思えることから行為を始めてみる。例えば、ダイエットしようと思ったら、まずダイエットがうまくいったときのすっきりときれいになった自分をイメージして、願い事はすでに終わり、叶えられたと思う。そのとき、エネルギーボールを作り、そのオーラを想像のイメージに注入する。手で作ったボールと頭の中のイメージの画像をミックスする。あるいは、目を閉じて、頭の中で考えたゴールの映像を思い浮かべながら、「手からエネルギーがでる」という。すると手の知覚と脳の画像が自分の中で一個につながり、お互いのエネルギーが手を伸ばすように、想像した世界にエネルギーが加わる。すると心技体すべてにおいて現状を上回る状況が生まれ、あなたの限界を超えていく。これが魔法の原理で、頭で想像することとそれが実現するエネルギーを混ぜ合わせることだ。

 これまで色々な自己啓発の世界を学び、イメージトレーニングをしてもうまくいかない人がいる。それはあなたの病気や貧乏のオーラ、不幸オーラのせいである。そういった不幸オーラが黒い煙となって、近づけた幸せを抹消していく。つまり、頭で想定した幸せな世界が現実の未来であなたのところに来たときに、原存在としてのbeingのあなたの汚れたオーラがその出来事を拒絶する。つまり発注されたあなたの願いが配送されても、あなたの元で受け取り拒否をされるようなものだが、あなた自身は幸せや成功は全然こないと思っている。(略)

 

 私なりのアプローチがある。効果があるとかないとかは関係なく最初からゴールを想像することだ。あなたが問題解決に向けてやろうと決めたことは絶対に全部役に立つ。この世のすべてはつながっているからだ。だから何ができるか、なんでもいいから考える。庭掃除がいい、道路掃除がいい、と思ったらそれをやる。自分がゴールに向かっていると思って決めたすべてのことは本当に現実的にアプローチとなる。決めているのはあなただ。

 アメリカ先住民のシャーマン、ローリング・サンダーの衝撃的な話がある。

 ある日、サンダーはニューヨークで入院している末期のがん患者さんからヒーリングを頼まれる。すると彼はその病院へは行かず、アリゾナの砂漠に行ってしまう。その時たまたまテレビの取材をされていて、サンダーは薬草を取りに行くのだろうとカメラのクルーたちがついていくのだが、彼は来る日も来る日も砂漠を旅するだけ。途中で何度か儀式をし、さらに砂漠の奥へ入っていく。何日かたって、サンダーは砂漠のある地点で言う。「あった、見つけた」と。そして何も無い砂漠の一点に杖を突き刺し、帰りをうながす。クルーたちは何が起きたのか、何の目的かも分からず一緒に帰ってくるのだが、後日大変なことを発見する。サンダーが砂漠で大地に杖を突き立てた同時間に、病院で末期ガンの患者が一瞬で治っていたのだ。

 サンダーが砂漠で杖を突き立てた行為と末期のガン患者が治ったことはなんらかの関係があるようには思えないのだが、パウリはこういうことをシンクロニシティ(共時性)、意味がある偶然と言った。このふたつの出来事は何の関係もないのだが、サンダーにだけは必然だった。彼はガン患者さんを治そうという意図を持ち、その意識で砂漠へ出かけ、杖を突き立てたわけだから。治ると思う確信と治る現実をただ砂漠で杖を突き立てるというdoingで結びつけただけだ。

 あなたが為しうるすべての行為はあなたが意図するとき、目的と意味を持っている。どんなことでも、そうしようと思って始めたことはゴールに近づける。無駄な努力なんてこの世に何一つもない。なぜなら、我々はホログラフィックユニバースのつながりの中で生きているのだから。 

 黒澤明監督の「デルスウザーラ(Dersu Uzala)」という映画がある。イギリスの科学者が極寒の氷の世界で生きるエスキモーの漁師にインタビューをするシーンがあり、「こんな吹雪のなかに一人でアザラシを待って何日もじっとしていられるのはなぜですか、たった一人でこんな氷の閉ざされた世界に暮らしていて気が狂いませんか」と聞く。漁師はこう答える。

 「この世界は生命に満ち溢れています。あらゆる命が、空気の中や水たまりの中、氷の上でも輝いています。私は一瞬たりともそれらの命から切り離されたことはありません。西洋人は孤独の世界にいられるすごい技を発見したのですね。個人の命だけを切り離すという技はどうやったら可能なのですか」

 世界のすべては繋がっているのだ。

 5千万円の借金を返そうと決心して、コンビニで時給750円で働くのはおかど違いだろうか、無理な話だろうか。それをあなたが意図してやっていき、効果を図らず、目的を見失わず、この行為がそのゴールに近づいているのを分かりながらやっていると、とんでもないことが起こるかもしれない。コンビニにふらっと入った客が、「君にお金をあげよう」みたいなバカな話が起きる。

 聖者パラマハンサ・ヨガナンダはそうだった。

 ヨガナンダはビバリーヒルズでヨガを教えていたが、ヨガを広めようと、「事務員さん募集」の新聞広告を出す。ホテル住まいの彼の元にひとりの応募者が来ると、ただちにその人を採用し、通帳などを渡すが、資金は全くない。雇われた人は、心配になって給料をもらえないのではと尋ねる。するとヨガナンダは、「大丈夫、お金はこれから入るから。私の仕事が神様にとって必要なら、きっとお金をなんとかしてくださる」と答えるや否や、ホテルの部屋から出ていってしまう。彼はホテルの玄関から通りに出ると、リムジンが止まっていて通り過ぎようとする。すると車の中から人が出てきて、ヨガナンダはその人から声をかけられる。「あなたを見た瞬間、素晴らしい方だとわかりました。私は有り余るお金があります。あなたこそが、わたしのお金を使っていただきたい方だ」。

 たったいまホテルの部屋で無一文だった彼が、エレベーターを降り、外に出て、部屋に戻ってきたら、10万ドルの小切手を手にしていた。その事務員はひどく驚いたに違いない。ヨガナンダはお金さえも引き寄せてしまう力を持っていた。

 あなたのオーラを輝かせると世界はやさしくあなたを助け始める。

 

 エネルギーボールという概念があります。手からエネルギーを出してボールを作り、自分を輝かせてください。

 (*FACEBOOK『この素晴らしき「気」の世界』に、この講演会の一部、清水義久さんの動画「エネルギーボールの作り方」が掲載されています。ご参照ください。) https://www.facebook.com/%E3%81%93%E3%81%AE%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%8D%E6%B0%97%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-1610541489257037/

             文責:山崎佐弓 

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