「不食の弁護士」として知られる秋山佳胤さんの講演会が開かれました。秋山さんは本業の弁護士を続けながら、ホメオパス、医学博士(代替医療)でもあり、物質な食べ物の代わりに見えないエネルギー「プラーナ」によって暮らしています。食べない飲まない生活を続けながら、健康そのものの秋山さんにお話を伺いました。講演中はシンギング・リン(豊かな倍音をもつ金属製の新しい音響楽器)の実演もあり、その響きの広がる会場は光に満たされたようでした。 講演前は16時半から会場にお出でになり、コーヒーを110人分丁寧に挽いて淹れて頂き参加者のみなさんにふるまって下さいました。 
 美味しいコーヒーご馳走さまでした!(7月29日、東京ウィメンズプラザ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホロトロピックネットワーク」の「ホロトロピック」という言葉は「全体性に向かう」という意味だそうですが、「ホロ」というのは全体性、一体性、繋がりという意味がある接頭辞だと思います。「ホリスティック」医学と言われるものは、人体を全体的に見る医学であって、病気は全体的なバランスの乱れと捉えます。これに対し、いわゆる現代医学は、体を部品の寄せ集まった機械として捉えている面があり、そのためある臓器が不調になるとその部分の部品交換に相当する臓器移植という考え方になりますが、これは分析的な医学といえるかと思います。私は、ホメオパシーという自然医療の療法士もしておりますが、これも、「ホリスティック」の医療の一つです。ホメオパシーは身体だけを見るのではなく、心のあり方、体のあり方、すべてを一体的に見ていきます。 
「健康」という言葉は、易経の「健体康心」(心が康らかなれば体は健やかなり)という言葉から生まれました。
 地球環境という意味では、「すべての命はつながっている」という一体性に気づいて、みんなで豊かに盛り上げていくことが大切です。地球は環境破壊が進んで危機的状況にあり、多くの種が絶滅しつつありますが、動植物が生きられない状況では人間も暮らせません。自然の恵みを奪い合っている場合ではないのです。地球を支えてきた微生物の恩恵に気づいて、農業や自然医療などに活用していきましょう。
 福島原発事故の前から、私は被曝問題の資料に目を通していました。原発は火力発電よりコストが安いという説もありますが、それは放射性廃棄物の処理方法がなくコストが計上できないからです。被曝を軽減するために、微生物の力を活用できればと思います。この点は、今、上映されている「蘇生」という映画(「祈り」で有名な白鳥監督の最新作)で力強く示されているとおりです。
 現在の常識の中には、マインドコントロールも多くあります。縄文時代という
と未開の文化という思いこみもありますが、その遺跡からは非常に美しい装飾品が発掘され、ひとを殺傷する武器は見つかりません。縄文時代は「争わないこと」を体現した、波動の高い時代でしたが、地球の健康状態は100点満点で95だったと聞きました。 江戸時代も、自然のリサイクルとともに生きた時代で、その頃の地球の健康状態は85だったそうです。それに比べて、今の地球の健康状態はとても下がっており、54だそうで、いわば瀕死の重症レベルです。
 私はアマゾンの熱帯雨林を訪れ、人々が裸足で暮らしていることに感銘を受けました。グラウンディング(地に足をつける)という表現がありますが、アース(大地、地球)に素足をつけることは、地球との結びつきを取り戻すために大切です。世界の神話にあるように、肉体は土からできています。ギリシャ神話では、神さまが泥人形を作って息を吹きかけると、魂が注入されて、人になります。肉体のもとは土であり、スピリットは宇宙からやってくるのです。

 私は、物質的な食べ物はほとんどとらないので、「不食の弁護士」として紹介されますが、そのたびに「不食ではありません、エネルギー食です」と説明します。
 食事の前に「いただきます」と手を合わせるのは、「あなたの命をいただきます。私と一緒に生きてください」という感謝と祈りの言葉であり、昔の人は食べ物に「命のエネルギー」がのっていることを知っていました。
 また、食事の後に「ご馳走さま」というのは、食材はもともと走り回れる範囲のものだったことに由来します。肉体は土から生まれ、野菜も土から生まれます。身土不二というように、食材としてふさわしいのは地元のものです。「ご馳走さま」というのは、食事の後、食材を提供して下さったところにお礼回りをしたという意味があります。
 食事において、私たちはただ物質としての食べ物をとっているわけではありません。料理は食べてもお皿そのものは食べないように、物質としての食べ物はお皿で、その上に乗っている料理が、生命エネルギーです。
 私はお皿に当たる「物質としての食べ物」は食べませんが、料理に当たる「エネルギー」はいただいています。野菜は大地のミネラルを吸い上げながら、地球とエネルギーをやりとりしていますし、太陽の光を浴びて、太陽エネルギーを吸いこんでいます。このエネルギーは、波動エネルギー、生命エネルギーで、プラーナと呼ばれます。
 人はみんな、多かれ少なかれプラーナで生きています。春に縁側で日向ぼっこしたら癒されるのは、太陽のエネルギーを受けとるからです。都会の喧騒から離れて緑の多いところにいくと元気になるのは、大自然のエネルギーとやりとりするからです。プラーナをチャージしやすい場所は、パワースポットと呼ばれることもあります。
 肉体を維持するにはエネルギーが必要で、それは物質としてのエネルギーとプラーナの総計になります。プラーナの摂取率が高ければ、物質としてのエネルギーの摂取率を減らすことができます。感情にとらわれて緊張状態が続くとプラーナは摂取しにくくなり、リラックスすると効率的に摂取できるようになります。
 瞑想のさなかは空腹を覚えにくいように、意識のチューニングをしていくと、物質としての食べ物の摂取量はしだいに減っていきます。

 私たちは、肉体だけの存在ではありません。魂は見えませんし触ることもできませんが、それでも存在しています。「自分は何者か。地上で何をする存在なのか。自分の役目を知って実践したい」という思いをもつ方も、きっと多いことでしょう。
 物事には見える側面と見えない側面があり、見えない側面を原因、見える側面を結果と呼びます。見えているのは結果であり、その背後にはおおもとの原因があります。つまり、見える肉体は、見えない魂から生じている、ということです。
 本質=エッセンスとは、変わらないものです。逆にいうと、変化するものは本質ではありません。肉体は、誕生から今までずいぶん変化していますし、細胞レベルでも頻繁に入れ替わっています。一方、「三つ子の魂百まで」といわれるように、魂は肉体に比べてより変化しにくく、つまり、より本質であるということです。
 ところで、「魂」という言葉を「たま」と「しい」に分けてみましょう。「しい」の部分は、「嬉しい。悲しい。寂しい。楽しい」というように、「しい」のつく感情を表し、それら感情は、とても移ろいやすいものです。ということは、「魂」の中でより本質なのは「たま」の部分だ、ということになります。「魂」の中核なら、とても大切なものですから、「御」という字をつけましょう。すると、「みたま」=御霊になります。
 魂の表面にあるのが感情で、魂の中核部分にあるのが御霊(みたま)です。私たちの本質は魂にあり、さらにその本質は御霊にあるのです。御霊は「分け御霊」という言葉があるように、おおもと=大霊=グレートスピリットの分霊です。私たちは、一人ひとりが大いなるものの分身なのです。
 一人ひとりは「分け御霊」ですから、本来、ちょうどジグソーパズルのように、もとに還ればぴったり合い、そこに矛盾や衝突はありません。つまり、私たちの性質は、調和にあります。争いは表面的なところで生じているのであり、本質に還るなら、そこに衝突はないのです。
 ジグソーパズルでは、二つとして同じピースはありません。私たち一人ひとりが、ユニークな存在です。「他のピースと比べると尖っているから削ろう」ではなく、尖っている部分をしっかり表現することが大切です。一つ一つのピースが固有の形をはっきり表してこそ、本来のすきまのない美しい絵ができますし、それがグレートスピリットなのです。
 私たちは生まれながらに尊い存在で、生まれながらの知恵者です。人格と人格の接触を通して、子どものすばらしさを引きだしていくのが、真の教育といえるでしょう。
 私は弁護士として裁判の場にも出ており、裁判は真実になるべく近づくためのセレモニーのようなものですから、必要に応じて厳しいことも述べます。しかし、訴訟の場を離れたときは、みんな同じ地上で暮らす同胞ですから、私は相手のために愛を送り、調和を祈ります。そして、その効果は感じています。
 祈りの効用は、プリンストン大学の科学的研究によって証明されていますが、その結論を待つまでもなく、私たちは祈りには力があることを本能的に知っています。祈りは時間も空間も超え、そのスピードは光速よりも速いのです。

 ここで、シンギング・リンの響きを聴いてください。大きな音ではありませんが、ずっと奥まで響いていくのを感じられます。これが波動です。シンギング・リンは幅広いレンジの周波数が出ていますが、非常に波形が整っていてノイズが少ないのです。
 シンギング・リンは匠の技をもつ職人さんの手作りで、地上にまだ約1100個しかありませんが、すべて緻密にチューニングされているので、一つのシンギング・ リンを鳴らすと、離れたところにあるシンギング・リンすべてが共鳴し、非常に強力な調和のエネルギー・グリッドができます。
 音や光は波動の世界であり、私たちはそれらと作用し合っています。私たちの肉体もリズム、振動数、周波数をもち、臓器一つひとつも、チャクラ一つひとつも、それぞれ固有の波動があります。シンギング・リンの響きにふれると、それに共鳴する細胞の波動も整います。シンギング・リンを聴いている人の脳波を測定すると、リラックスしたときのα波が多く出ており、深い瞑想状態のときのθ波も観測されています。
 シンギング・リンの響きは健康にいいというデータが出ていますが、体調とはチューニング状態のことで、不調とはチューニングがずれている状態のことです。スポーツ選手が競技の前に肉体をチューニングするように、心のチューニングも大切です。
 感情の部分で圧倒されることがあっても、それは表面であって本質ではありません。周囲の人に批判されても、中核である御霊は光の玉そのままで、傷つくことはありません。
 絶望というのは感情の部分で、「もうダメだ」と、黒い布で魂を包みこむことです。すると魂の中核の光が外に出にくくなるので暗くなってしまいますが、どれほど厚い布で包んでも光はもれていますし、それを見いだすことはできます。黒い布を魂にまとった人には、「北風と太陽」の逸話のように、ぬくもりや愛を与えられ、わずかにもれ出ている魂の光を見いだされることで、自分で覆った厚い布を自分ではがせるようになるでしょう。
 イエス・キリストは、病む人に微笑みかけただけで癒しをもたらしたといわれます。その人の魂の中核にフォーカスし、見いだすことによって、御霊の光を引きだし、癒しをもたらしたのです。「キリスト」というのは人の名前ではなく、「キリスト意識」という一般名称があり、これは、神性意識、仏性意識、純粋意識、神聖なる自己、ハイアーセルフなどといろいろな呼ばれ方をしているものです。先ほど述べた魂の御霊の部分がキリスト意識に対応する部分です。イエス・キリストという呼び名は、「肉体を通してキリスト意識(=御霊)を表現した、尊敬すべき人イエス」という意味です。本来のクリスマスは、イエスの誕生日ではなく、私たちすべてに宿るキリスト意識の誕生を祝うものです。
 私たちの本質が光であることに気づき、自分の尊さに目覚めることが「覚醒」です。そのために大切なのが瞑想であり、内観だといえるでしょう。 
 私たちひとりひとりが今、内観や瞑想を通じ、私たち自身の存在の本質の美しさ素晴らしさ、すなわち御霊の光を見いだし堪能するとともに、その素晴らしい内なる光を力強く周りに放射し、美しい光で照らし合うことで、この地上が美しい光のイルミネーションに溢れることを楽しみにしております。

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