2021年12月3日(金)~5日(日)の座禅断食会での天外伺朗のQ&A

断食以外の事について色々答えていますので、年頭所感としてお読み下さい。

(質問:「冬至から二極化する」という説についてはどう思われますか?)

 アセンションや次元上昇については、ぼくの考える筋書きとはまったく異なります。意に関していません。同じようなことは60年代から言われていました。当時のスピリチュアルリーダーたちは、「アクエリアス革命」が起きて西洋文明が終わり、東洋文明や心の時代がやってくると主張していました。実際、60〜70年代は東洋文明が注目され、座禅や瞑想をしたり、チベット密教や仏教を学んだり、インディアンの長老に弟子入りする人が増えたりしました。1969年に開催されたウッドストック音楽祭には40万人が集まりましたが、結局、人の意識はちっとも変わらなかった。なぜでしょうか。当時の人たちは、悟りをイージーに考えていたのです。
当時ハーバード大学の心理学の准教授だったティモリー・リアリーとリチャード・アルパートは、LSDがもたらす意識の拡大によって、人間は悟りを開くことができると考えました。彼らの発想は、いまのスピリチュアルチーダーが「人類はアセンションする」と言うのと似ています。LSDを服用すると、宗教的な修行によってもたらされる神秘体験を手軽に体験できます。しかし神秘体験は、LSDによるものだろうと瞑想によるものだろうと、悟りとは関係ありません。神秘体験などしないほうが(精神的成長にとっては)順調なのです。
もっとも、LSDが注目されたおかげで、ベータエンドルフィンやオキシトシンなどの脳内麻薬が発見されました。当時の学会はLSDにより引き起こされるる様々な障害が人類にとって緊急な課題と考えたため、多くの研究が進み、脳細胞にはLSDを受けとめるレセプターがあることがわかったのです。レセプターがあるからにはLSDに似た物質が脳内で分泌されているはずだという仮定から、脳内麻薬の存在が明らかになりました。脳内麻薬はもう200種類くらい見つかっています。LSDはいわば瞑想の科学を進めるきっかけになったのですが、やがて法律で禁止されました。というのも、LSDは脳内麻薬と分子式が似ているので脳細胞のレセプターにはまるのですが、脳内麻薬のようには自然に消失しないのです。そのため、LSDによって精神疾患になる人や犯罪に走る人が出てきたのです。
とはいえ、LSDが禁止された後も、変性意識の研究は進められました。リチャード・アルパートはインドに渡り、グルからラム・ダスという名をもらって修行し、アメリカに帰ってからは思想家として、カウンターカルチャーの象徴的存在になりました。また、スタニスラフ・グラフは、LSDセッションが続けられなくなったため、世界中のシャーマニズムを研究して、過呼吸によって意識の拡大を体験するブレス・ワークを開発しました。ブレス・ワークでは、呼吸をコントロールすることによって変性意識に入ります。ぼくはブレス・ワークを何度も体験し、(ホロトロピック・ネットワークでも)主催していますが、著しい効果があり、狂乱状態になる参加者もいます。
変性意識においては、リモート・ビューイングやテレパシーなどを体験する人もいます。しかし、変性意識さえ体験すれば悟りを開けると考えるのは、とんでもない勘違いです。そもそも、「変容したい」と思っている人は、変容できません。
「悟りを開きたい」という人が天外塾にくると、ぼくは「新興宗教に行ってください」と言います。近代文明人の意識は、「悟り」のはるか手前のレベルにあり、心理学的にはシャドーを統合していくプロセスにいます。シャドーとは「こうあってはいけない」という抑圧です。「こうあるべきだ」という表の自分と、「こうあってはいけない」という無意識に潜む自分との二極分化を統合することが、実存的変容です。
したがって、実存的変容を遂げると、表看板で「いい人」を装っていた人が、実態を晒すようになる。つまり、「いい人」ではなくなってしまう。人間は誰しもダメ人間なのですが、それを偽らずに晒すようになる。だから、傍からは、前よりダメ人間になったと見えるかもしれない。一方、「悟りを開きたい」という思いの背後には、「聖者のようになって尊敬されたい」という自己顕示欲があります。つまり、ダメ人間を晒すことができず、実存的変容の壁が越えられない。ほとんどの宗教家は、そのレベルでとどまっています。
並木さんとジョイントした後、並木さんのファンもぼくの講演会に来るようになりましたが、皆さん相変わらず「怖れと不安」にドライブされており、変容の入り口に近い人は誰一人としていない。「ネガティブなものを外しましょう」という並木さんの方法では、実存的変容は遂げられないようです。ネガティブな感情を悪いものと判断すると、それらはよけいに抑圧されてモンスター化するだけです。さらに、並木さんはとてもよい人で、よくファンの世話をするため、ファンが並木さんに依存してしまっています。依存する状態は、意識の成長のステップでいうと中期自我です。社会的なリーダーが達成している、オレンジというレベルにも達していない。アセンションどころか、この社会の標準レベルにも達していないのです。

(質問:並木さんの最近のYouTubeを見ると、恐怖を煽っているように感じられますが?)

 並木さんはチャネリングで受けとった情報をそのまま出しているのでしょうが、似たような情報を受けとっている人はたくさんいます。1997年頃には、多くのスピリチュアルリーダーがハルマゲドンについて語っていました。多くのチャネラーが同じことをいうので、信じた人も多いですが、実際はまったく違いました。心理学でも指摘されていることですが、ハルマゲドンすなわち人類の滅亡は、自分の死の恐怖が投影されたイメージであり、それをチャネリング情報として受けとってしまうのです。
 人は誰でも恐れと不安を抱えています。ただし、恐れや不安は悪者ではありません。それらは、シャドーと自己否定感から生まれます。現代人が人生をドライブしている力は自己否定感ですし、社会の推進力も、自己否定感です。現代社会では、学校でも家庭でも、自己否定感を刺激して能力を伸ばそうという教育がおこなわれ、人々は自己否定感にドライブされて能力を伸ばし、地位を築いています。その意味で、自己否定感は自分の大切な一部でもあるのです。自己否定感を否定することは、自分を否定することになるので、自己否定の無限ループに入ってしまいます。

(質問:チャネリングする人や潜在能力を開発している人は、実存的変容をしている人とリンクしていますか?)

チャネリング、透視能力、テレパシー、予知能力などのトランスパーソナルな能力と、人間としての土台は、基本的にはリンクしていません。むしろ精神のバランスを崩すと、そういう能力が出てくることがあります。トランスパーソナル心理学では、そのような状態をスピリチュアル・エマージェンシーと呼んでいます。
パソコンに喩えると、トランスパーソナルな能力はアプリケーション、人間的な土台はOSのようなものです。OSがかなり幼くても能力が開いている人はたくさんいて、新興宗教のリーダーになったりしています。2,30年前は、トランスパーソナルな能力がある人はすごいという風潮があり、ミニ教祖のように崇められてバランスを崩してしまうチャネラーもたくさんいました。
良質なチャネラーは、一生懸命チャネリング情報を伝えて人々を導こうとしますが、基本的にチャネリング情報はあてになりません。ぼくは「日本列島祈りの旅」で多くのチャネラーに協力してもらっていますが、人によって情報が違います。ぼくは何も見えない、聞こえないからこそ、いろいろな見え方をする人たちを束ねて、「祈りの旅」のような面白いことができるのだと思います。

(質問:[瞑想はあまりされていないそうですが?])

ぼくは、あまり瞑想しません、無精なので。・・・
人類の目下の課題は、シャドーを統合していくことにあります。まだ自我のレベルの中で、次の自我の段階に進もうとしているところです。このような社会において、従来の会社組織では、従業員の戦闘能力にだけ注目し、戦士だけを育てることによって、成果を上げようとしてきました。人間的なところを見せる人は潰されていたのです。これがフレデリック・ラルーのいう「オレンジ組織」です。
一方、シャドーを統合した状態を「ティール」と呼び、その状態に達した人が運営する組織を「ティール組織」と呼びます。それは、そこに属する人が、人間としての全体的な姿を晒すことのできる組織です。言い換えるなら、ダメ人間としての自分も晒せる組織が「ティール組織」です。

(質問:コロナで社会が分断されていますが、自己否定感という軸から説明できることはありますか?)

現在は、ワクチン賛成派と反対派に二極化していますよね。ぼくは6月にバイオレゾナンス医学会で基調講演をしましたが、ほぼ全員のお医者さんがワクチン反対でした。一方、8月にはおのころ心平さんが主催する未来患者学のネットワークで、6000人が参加する催しの基調講演をしたのですが、16人の講演者のうち13人がお医者さんで、全員ワクチン賛成でした。さまざまな情報を得ている医者の間でも、ワクチンについては意見が真二つに割れているのです。
意見が割れるだけならともかく、ワクチンについては、あたかも正義と悪の戦いになっています。実存的変容を遂げる前の人は、正義と悪というパターンでしか、状況を読み解くことができません。そのため、反対意見の人は悪であると考え、陰謀論に引っ張られてしまいます。ワクチン反対派の中には、賛成派は金儲けのためにワクチンを推進している、と主張する人もいます。しかし、ぼくの知っているワクチン賛成の医者は、その有効性を真剣に考えて、善意でワクチンを推奨しています。
二極化といえば、トランプ大統領をめぐっても同じようなことがありました。トランプを悪の権化と考える人と、人類の救世主と考える人と、極端に分かれました。こういった現象は、実存的変容以前の社会の一つの様相です。
ぼく自身は、ワクチンは弊害のほうが大きいと思います。ぼくは40年前からあらゆる薬を拒否していて、ワクチンも打っていません。ただ、現在コロナの状況が落ち着いているのはワクチンのおかげで、アメリカではワクチン接種率が高い州ほど患者数が減っています。もっとも六ヶ月後には効果が下がるので、ブースター・ショットを打つという話が出ています。ワクチンはその場凌ぎなのか、コロナがこのまま収束するかは、誰にもわかりません。
 現代の医療はエビデンス・ベイスト・メディスンで、二重盲検テストなどを用い、エビデンスをもとに医療を展開していますが、その限界もあります。バイオレゾナンス医療を実践するお医者さんは、コロナの治療は難しいものではないと考えています。彼らの実践は、患者一人ひとりにチューニングする、ナラティブ・ベイスト・メディスンです。イベルメクチン、漢方薬、高濃度ビタミンC療法、亜鉛を使ったり、体にたまっている毒素をゼロサーチで探してデトックスする方法を組み合わせたりすることで、重症患者でも治っています。ぼくはそういう事例を知っているので、コロナは怖くありません。

(質問:私はライフ・コーチをしていて、引きこもっていたり何かと戦っていたりといった、さまざまな状況の人と関わっています。一気に実存的変容に向かうのは難しいので、まずは目の前の課題としっかり向き合うことが大切だと思っています。「逃げずに向き合うように」というアドバイスについては、どうお考えですか?)

「向き合っていきなさい」というアドバイスには、抵抗があります。強制力が働くと、人は動けなくなります。「目の前の問題に取り組みなさい」と首根っこをつかまえても、人は変容しません。「こだわりを手放すお手伝いをする」というくらいのスタンスがいいのではないでしょうか。
ぼくのセオリーでいうと、人間を動かすエンジンは二つあります。一つはシャドーのモンスターで、これは強力なエンジン。もう一つが真我のエンジンで、無条件の愛がベースになります。シャドーのエンジンで走っている人は、真我がなかなか目覚めません。いまの競争社会では、シャドーのエンジンを吹かせない人は逃避タイプになってしまいます。ぼくは30年ほど前、進化した人ほど、逃避タイプになる傾向があることに気づきました。
真我のエネルギーをふかすには、まずは夢中になって何かをすることです。フロー体験を積むとたいていモーターが回り始めます。
あるいは、無条件に受容されることを通して、真我のエンジンのベースとなる無条件の愛を体験することです。無条件の受容とは「ありのままでいい」ということであり、「やりたくないことはしなくていい」ということでもあります。だから、その人が何かから逃げていても、それは必ずしも否定すべきことではないのです。盗みたければ盗む、破壊したければ破壊する、それらが許容されないと、無条件の受容にはなりません。すべてを受容されたとき、人は変容します。
または、奉仕という方法もあります。キリスト教において悟りに向かうプロセスは、マザー・テレサのように、たいてい奉仕から入っています。トイレ掃除を勧める人もいますが、それもリーズナブルな方法だと思います。

 

ネガティブだった人が、張り紙一つで変容したという話をしてもらえますか?
 

(私は高齢者の介護関係の仕事をしています。「弱い自分を出してはいけない」「役に立たないと捨てられる」という思い込みのために、他者からサービスを受けることを拒否して、介護家族が潰れるケースが多くあります。そこで「弱い自分がいてもいい。役に立てない自分がいてもいい。それでも私は愛されている。守られている。助けてもらえる」と書いた紙をトイレに貼ってもらったところ、大きな変化が起きました。サービスを拒否していた人がヘルパーさんを使い始めたり、障害を10年受け入れられなかった人が受け入れられるようになったりしたのです。「役に立たないと捨てられる」というシャドーに苦しんでいる人が「それでも大丈夫」と思えたら、みんなが穏やかに介護できると感じています)

 

ダメ人間であることを晒せなかった人が晒せるようになったことで、全体がうまく回り始めるという話ですね。鎧をかぶってがちがちになっている人をほどいていくエピソードと、無条件の受容には、共通するテーマがあると思います。張り紙にある言葉は、メンタルモデル瞑想のマントラに採用させてもらっていて、多くの人が実践しています。