top of page

清水義久さんの講演録 

宿命と運命を改善する 講師:清水義久さん 

2018年9月6日 東京ウィメンズプラザ

 

 運命と宿命がある。運命は、自分が存在する社会環境や人間関係によって変化していく後天的なもので、運動の「運」、動きがある命。東洋では後天的という。宿命は、生まれた日にち、生まれた場所、親、兄弟、親族など絶対に変わらないもので、それを「宿」といい、命がお宿に入って保存されたもの。先天的という。 

 幸せに生きていて、あるがままでいいというナチュラルな感覚で生きている人はそれ自体幸せであり、そのときは宿命も運命も関係ないが、運命や宿命が悪意、敵意になっているのは基本的に困っている人だ。

 運命と宿命を改善するには、宇宙のシステムと繋がっていくのがそのゴールである。ゴールは実は単純な話だ。宿命は変わらないのだったら受け入れる。そして自分の努力で変えられることはできるだけ建設的にポジティブ側に努力をし、なおかつできないことは受け入れる。(略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの運命が一体どうなっているか、宿命がどうなっているか知りたいだろう。だが気功の立場をとる僕たちはあまり興味がない。どんな運命や宿命であろうと、気功はそれらを立て直そうとするスタイルだからだ。 

 人の存在は気のエネルギータンクだ。そのタンクは4層構造になっていて、一番下の層から体、心、魂、コーザル体(真我・神様との繋がり)をあらわす。

 マイナスのエネルギーもプラスのエネルギーもそのタンクの中にチャージされていくが、同量のプラスとマイナスの分は相殺して消えていくのでエネルギーはなかなか貯まらない。しかし、もし悪いエネルギーが継続して入れば、マイナスの量だけがどんどん増え、タンクの4分の1を超えるほどになると、最初に必ず体がやられて病気になる。現象は第1層の体から発動するからだ。そこで、気功や体操をやって気を流したり、小周天や立禅をしたり、体にエネルギーをチャージし続ければ、全ての不幸は消えるということになる。ちなみに第2層では心の病気が発動し、3層では運命が悪くなり、4層では神様に嫌われる。一番上までマイナスエネルギーがチャージされると、全てが汚染され、運が悪くなる。あなたの魂は真っ黒、心が汚れ、顔色が悪い。逆にあなたが素敵な表情をしていて、元気で幸せで楽しいなと思えるときは、あなたのタンクの中は汚れていない。(略)

 

 神道では、このエネルギー構造の仕組みを一霊四魂という考え方で表す。荒魂 (あらみたま)、和魂 (にぎみたま)、幸魂 (さきみたま)、奇魂 (くしみたま)と言う。それぞれ、順番通りにエーテル次元(体・元気)、アストラル次元(心・安心)、メンタル次元(魂・やる気)、コーザル次元(神仏との見えない繋がり)と対応している。(略)

 さて、気功をやって自分が悟りを開きたいとか、社会で成功したいとかあるだろうが、これは正直どちらでも良い。では、だれかのために何かをする、利他行をしようとなるが、ここで重要な問題が出てくる。誰かのために尽くす、神様のために生きる、それだけでは病気になってしまうからだ。まず元気になって、安心できるようになって、世界が良いところと思えるようになって、その上で祈りの世界に入る。奇跡の魂、奇魂は、順番通りに一番下の荒魂からいかないと発動しない。これが人間のエネルギーの構造の仕掛けだ。喜びを感じた後、世界がいいものだと思えて喜んでいる人だけが感謝ができ、祈りができる。そう思えないときは、体が病気であるか、心がへたれていて、世界が良いものだと映らない。だから最初から感謝しようとしなくていい。最初は口先だけで感謝すればいい。問題は一番先に荒魂を作って、順番通りに上っていかないといけないのだ。(略)

 

 過去の人類の文化史で、人には原罪があり、本性は悪だという結論があった。しかし、あなた自身の存在が罪であり悪いやつと思っていたら、自己認識は不幸に偏よっている。そこで宗教が発生し、宗教を信じて神様に罪滅ぼしをするか許してもらうとなるーキリスト教やイスラム教の西洋の世界だ。でもお互いの神さまが違うから、お互いにあんたは悪いやつだとなる。またこのフレームで言えば、信仰を持っていないのは悪であり、私と同じ神様を信じていない人は悪人になる。すると人の本性は悪で神様への信仰もないとなると、あなたは悪いやつで、あなたが生きている理由がなくなる。あっても、宝くじが当たるとか、仕事がうまくいくとか、素敵な彼氏ができるとか、あなたにはいいことがあってはならない。今にバチが当たるぞとなるだろう。全ての不幸は「人間の本性は悪」という価値観で支えられているからだ。

 もう一つの不幸な世界観がある。この世界はいいところじゃない、もしくは、人は普通に生きていたら不幸の方に偏りやすいという唯物論的な世界観だ。すると、人間の本性は悪でこの世界は良くないというこの両方の価値観で生きている限り、運命と宿命はあなたにとって敵にしかならない。

 この価値観を両方とも否定したのが日本人だ。「山川草木悉有仏性」という言葉で世界観を表わした。草も木も山も川も悉く仏となれり。なんて素敵な言葉だ。すなわち、人は神仏になるのだから許してもらう必要も信じる必要もない。

 

 空海さんが密教を持ってこの世界観を炸裂させ、神仏になれる方法を習得しようとした。一方、同じ時代に生きた最澄さんが、「草木国土悉皆成仏」、世界の全ての素粒子は皆ことごとく仏になるのだから修行して頑張らなくていい、というニュアンスの世界観を広めた。ワールドにおいては山川草木悉有仏性、我においては即身成仏の道だ。この二つのアイディアを採用しない限り、運命も宿命も良くならない。(略)

 

 即身成仏についてはもう一つのアイディアがある。基本は我が努力して神仏に近づくというものだが、僕たちは全く違った方法をとる。

 開眼法要というのがある。例えばここに木彫りとか真鍮製とか誰かが作った仏像がある。ただの物品であるが、この仏像をご本尊にするためにここに仏さまをお呼びし、この仏像に入っていただく法要をする。仏さまがOKとなると契約が成立し、仏像がご本尊になる。神社も同じように、新しくお社を建てて、鏡などをおいてそこに神様に入っていただいている。こういうことが現実にできるから、日本中に一万を超える八幡大社があり、同様に伊勢神宮も春日大社も白山神社も分社がいくつもある。

 ここにあなたの肉体があり、そのあなたの存在に神仏の本体をお呼びして、仏像の開眼法要と同じく、素粒子のレベルで神仏にお入りいただいたらどうだろう。入った瞬間からあなたは即身成仏となる。宗教者や宗教団体から見たら不届き千万だが、やってみればいいと思う。お守りだってお札だって紙や布や金属やいろんなものでできているわけで、ここに神様に入っていただいて本物の護符やお札となる。だったら、タンパク質にだって入れるだろう。

 実はこれを人間にやってみた。そうしたら、その人が急にいい人になってしまった。性格良し、元気良し、生き方が変わり、全部良くなった。どんな極悪非道の人間でも神様が入れば良い人間になってしまう。これを自力で神様と同調するのを待っていたら、何万年かかるか分からない。

 仏像の開眼法要の方法で、あなたがその仏像の位置にあれば一瞬でも神と一体化する。この時に信仰はいらない。あなたはすがっていないし、許してもらおう、守ってもらおうとも思っていない。そこに神がいて、神が降りてきただけだ。一体感を深め、神様にあなたの場所で和んでもらう。すると、あなたの中の汚れがゆっくりと溶けて行き、神仏のエネルギーによってクレンジングされて、あなたは生まれて初めてカルマの汚れがなくなった純粋存在になる。(略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

即身成仏を他力でやる。これが僕らのやり方だ。話は大げさだけど実際は大変じゃない。これで元気で幸せになる。他の人に強要せず、頑張らず、内緒でできる技だ。

 ただ、神仏をお迎えする時に正しい人間の価値観がないといけない。だからスイッチとしてこの三つを唱える。

   1、良い人間になります、ありがとうございました。

   2、人の本性は善である。

   3、人はいつかは神仏となる。(黄金の光をイメージしながら言う)

 あなたの世界観も変わらないといけない。

   4、この世の中は美しい。

     (美しい大自然の風景をイメージしながら言う。朝日、夕日、海、山、草原など)

   5、この世の中はあらゆる面でますます良くなっていく。

 以上5つを唱える。これが神様使いの条件だ。この5つの旗を立てた時だけ、人は奇魂になり、自分の中に存在する神仏が目覚める。これらのことばはその奇魂の世界に自ら扉をあけて届いていくための5つのドアだ。

 自然の美しい景色やそのイメージを見ながら、毎日唱えよう。人間自身の正しい価値観と世界観、このふたつが揃った時、神降ろしができる。この文章に乗っかった時だけチャクラが開き、外の世界を受け入れる準備ができる。宇宙エネルギーというか、空間に満ちる素粒子、様々なエネルギーをあなたの中に吸収する理由が生まれる。

 

 準備ができたら、このマントラで神仏にお願いし、あなたの中に入っていただく。 

 「オン サラバ タ・タ ギャタ ハンナ マンナ ノウ キャロミ」

 これはお坊さんが密教の儀式で神様をお迎えする時に使う最初のマントラで、普礼(ふらい)の真言という。御本尊に「こんにちは」と言う最初の挨拶で、僕たちはこれを神様を呼ぶ時に勝手に使わせてもらっている。本来の普礼の真言の使い方は違っているが、拡大解釈してもいいだろう。

 手を上に向け、神様を召喚する。上から下へ誘い、頭を下げながら、失礼がないように祈る。

 「私は良い人間になります。ありがとうございました。どうぞここにお越しください」

 「どうぞ、私の中に入って来てください」(略) 

 

 

 古代中国の思想が生んだ世界観に、万物は木・火・土・金・水の5種類からなり、互いに影響を与えてこの世界がなりたっているという五行論がある。つまり、世界の全てはエネルギーの掛け合わせでできている。これは古今東西の結論でもある。

 宇宙空間から地球を見てみよう。まず、夜空の星の中に明るく輝く光があり(火のエネルギー)、表面に大陸、砂漠があり(土のエネルギー)、よく見ると岩石があり(金のエネルギー)、そして青い海や川が見える(水のエネルギー)。ただ、これは生命が生まれる前のまだ命のない地球で、四つのエネルギー状態の姿である。この状態では、エントロピー増大の法則により、出来事は無秩序、破壊の方向に進むだけだ。

 五行における火のエネルギーは熱エネルギーで、何かが始まる元の状態、「生まれる」力を表す。これは火星のエネルギーと繋がる。土のエネルギーは年をとっていく「老」を表し、生まれたものが滅んでいく。土星のエネルギー、サターンと繋がる。金のエネルギーは固まるエネルギーで、「病」を表す。金星のエネルギーと繋がる。水のエネルギーは三途の川で「死」を表す。水星のエネルギーと繋がる。

 すると、ここに生老病死という一つの姿が現れる。この四つの流れはそのままカルマの姿で、実は生老病死の四苦は五行論のなかの本質にある。  

 宇宙空間に生まれた地球のエネルギーは生老病死のカルマをただ繰り返すだけのものだったが、地球が大人になり、母なる存在、ガイアとなったとき、初めて生老病死を超える5thエレメントが生まれた。この星に初めて生命体が宿ったのだ。

 地球は自由度を増し、宇宙の法則から逃れ、生命現象が発生した。コアセルベート(生命の起源の最初の段階の溶液)の海のなかからアミノ酸が意識を持ち、細胞を持ち、アメーバになり、そのときから生老病死が一つのサイクルで変わり始める。命が生まれた瞬間から地球は変わり、ものは「山川草木悉有仏性」、皆ことごとく仏となる。この命のエネルギーは樹木に例えられ、5thエレメント「木」が生まれた。するとエネルギーは、木火土金水木火土金水木……と相生に回っていく。

 これが五行論だ。人は生老病死を超える神なのだ。命の働きは時間が経つにつれて複雑系になっているが、昔の人はこういうシンプルなアイディアの中で生命の不可思議さに気づき、生命が時とともに進化していくことをぼんやり気づいていったのだと思う。(略)

 

 宿命とか運命の仕組みの根拠となっている色々な計算(算命学や気学や易など)は、この五行のエネルギーを見ていくものである。そこで使われるのを干支暦と言う。万年暦とも言い、太陽と月のリズムを使いながら、永遠に補正する必要のない暦だ。

 紀元前104年の中国、11月1日にこの暦が始められた。この日、十干の始まり(甲)と十二支の始まり(子)を甲子の日と定め、数秘術「111」で暦を作った。月も新月で始まり、さらに冬至の日だった。このような日が揃うのは4617年に1回だけだ。さらにもう一つ、木星が宇宙空間の真北の方位、子の位置にぴったり重なる。木星は12年に1回まわるが、元の位置に戻り、全てが重なるには14万3127年かかる。 

 子(水) 丑(土) 寅(木) 卯(木) 辰(土) 巳(火) 午(火) 未(土) 申(金) 酉(金) 戌(土) 亥(水)

 甲乙(木)丙丁(火)戊己(土)庚申(金)壬癸(水)

 

 干支暦を見ていくと、ずうっとこの五行のエネルギーが順番で足されて重なって行くのが分かる。五行のエネルギーが毎日足されるということは、昨日より今日が良くなっているということ。一種類ずつの日の干支が60日で1回まわり、月の干支が60ヶ月で1回まわり、年の干支が60年で1回まわり、日月年の3パターンで五行が足され、生命が育っている。この世界は、五行のエネルギーが、1日ごとに、昨日よりも去年よりも1万年前よりも何百倍も高まって重なり満たされて行く世界だ。

 神様はどうもこの地球がきっと好きなんだ。この地球を母なるガイアにしてくれ、命が生まれた。僕たちの外の空間はこのガイアでできている。生まれた私たちはその中のプールにいる。それは地球の羊水の中にいるようなものだ。そして空気には、木星、火星、土星、金星、水星が光を入れてくれている。バッチ博士のフラワーレメディが我々を助けてくれるのもうなずける。世界は敵じゃない。(略)

 

 神様を降ろそう。

 オン サラバ タ・タギャタ ハンナマンナ ノウ キャロミ

 お寺も神社も磐座も礼をつくして頭を下げることで、そこの精霊があなたのところに出てきてくれる。森、川、海、洞窟、そこでどんなことがあったとしても、礼を尽くせば大丈夫。

 人間は数千年に渡って血を流し、苦しみ、憑霊が憑き、地球を汚して来た。だから母なるガイアを迎えて一挙に綺麗にしたらいい。古戦場跡も人の呪いも救われるべきエネルギーに過ぎない。妖怪も悪霊もお迎えして礼を尽くせば、あなたに触れて神に変わる。祓うべき不幸などはないのだ。

 命の本質は「木」のエネルギーで、もともと生老病死を超えるためにある。あなたが生きているということは、必ずこの能力を使うジェントルマン、良い人間だということ。だから恐れることはない。 (文責 山崎佐弓)

00.jpg
10.jpg
bottom of page